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2014. . 10

お世話になりました^^

7月10日(木)

最後の記事を書いてから、ほぼ、1カ月が経ちました。

更新しないにも関わらず、お越し下さった方々・・・・・
本当に申し訳無く、また、大変有難く思っております
温かなお心遣いを有難うございます!心よりお礼を申し上げます


前に書いた通り、長年お世話になったこの 「日本ブログ村」 から、そろそろお暇しようと思います。
今日は最後のご挨拶を兼ねて更新させて頂いた所存でございます^^;

今までお付き合い下さった皆様・・・・・
また何かのかたちでお世話になるかも知れませんが、その時はまた宜しくお願い申し上げます!
本当に長い間お世話になりました!有難うございました ヾ(*´∪`*)oc






それでは、これにて失礼致します(*_ _)人

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2014. . 12

すみません・・・・・補足です。

6月12日(木)

往生際が悪くてすみません
補足・・・・・と言う訳ではないのですが・・・・・・・

記事の更新を今後する事はないのですが、有難くも頂きましたコメントへのお礼につきましては、ブログコメント欄でさせて頂きたいと思っております。
ですので、コメントを頂けた時だけは 「コメント欄」 の更新のみ、させて頂く所存でございます。

あっ!あと、それとですねぇ~~~
今までお越し下さってくれた方のブログへは、お邪魔かも知れませんが今まで通りお邪魔させて頂きたく存じます!
ご迷惑かもですが、時にはコメントさせて頂く事があるかも知れません。
コメントをさせて頂く事がないとしても、今まで通りお邪魔させて頂きました感謝と、ご挨拶に代えさせて頂きまして
「ポチ!ポチ!」 は必ずさせて頂きたく存じます^^
自分のブログの更新は致しませんが、今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます(。・人・`。))


・・・では、これにて失礼致します(*_ _)人

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2014. . 11

あとがきです。4年と5カ月間、本当に有難うございました!

6月11日(水) 

2009年の3月に 「膵臓癌」 の(仮)告知を受けた、我が父、イチロー。
翌月には 「膵臓癌」 の(本)告知を受け、 「余命宣告」 までされ、その時に言われたのは
「3か月~半年。抗がん剤が上手くいって1年。」
と言う、とても厳しい状態だった。

それからと言うもの、色々な本を読み漁ったり、様々な方のブログへお邪魔させて頂いたり、膵臓癌の情報をネットで調べに調べまくった。
希望が持てるような情報は中々得られず、信じたくはないが、医師に告げられた余命宣告通りになってしまうのでは?
と、何とも絶望的な気持ちになった。

膵臓癌の発覚時、あまりにも黄疸が酷く、抗がん剤治療も直ぐには出来ず、焦りと苛立ちだけが募っていた。
何も出来ずにいた時を経て、やっと、抗がん剤 「ジェムザール」 にて治療が開始された。
だが、何度も予定通りジェムを投与出来ず、また、留置した 「ステント」 が脱落(?)してしまうと言う事態も経験した。
膵臓癌が発覚してからは、体重が16.5kg痩せてしまった時もある。

しかし、何とも有難い事に 「ジェムザール」 が父に功を奏した。
そして医師の余命宣告である1年の壁が見えてきた頃、このブログを始めようと決意した。
父はジェムが功を奏した事で、発覚当初に言われた 「手術は出来ない」 との医師の言葉を覆し、手術可能と言われるまでに腫瘍の縮小が認められた。
だが、父は手術を拒み、結果的には 「抗がん剤、ジェムザール単体」 のみの治療だけを最後まで受け続けた。
途中、ジェムがもう功奏しないと判断され、 「TS-1」 を勧められた時もあったが、父はそれも頑なに拒否をした。

「膵臓癌」 で 「手術もしない」 し、抗がん剤も 「ジェムのみ」 で、特別に何か他の治療をした訳でもない。
「食事療法」 や 「代替療法」 をした訳でもない父。
こんな事を思ったり、ブログとして書くのは、大変おこがましいと重々承知している。
勿論、人其々、 「個人差」 「個体差」 があるのも分かっている。
だが、希望の持てる情報が中々得られない 「膵臓癌」 であっても、父の様な人も居るのだと、少しでも読んで下さる方に希望を持って頂けたら・・・・・
大した情報を発信する事も出来ないこんな駄ブログでも、何方か1人でも、何かのお役に立てて頂ける事が出来たら・・・・・
思い上がりかも知れないけど、そんな思いもあってこのブログを始めた。
・・・勿論 「家族の想い出を綴る為」 でもあるのだが。


ブログを始めた当初は
「こんな素人丸出しのブログ・・・・・誰か読んでくれてるのかな?」
そんな思いしかなかった。
「無駄に長いし、誤字脱字は多いし、何を言わんとしてるか分かり辛くて読みにくい!」
それは自分でも十分に分かっていた。
ただ、有難い事に、以前からお邪魔させて頂いていたブログ主様や、その方のブログで交流させて頂いた方たちがコメントを入れて下さった。
それから、この駄ブログを 「リンク」 して下さったり、はたまた、こんな私に 「ブロ友申請」 をして下さる方もいらっしゃった。
「リンク」 「ブロ友」 ・・・・・とは^^?何のこっちゃ?
全くのブログ初心者の私。(それだけでなく、根本的に知識不足)
そんな何も分からない私でも、そのようにして下さる、仰って下さる方がいて下さった事が大変嬉しく、また大変有難く、ブログを更新する励みへとなる力を下さった。

最初さえ毎日更新していたものの・・・途中何度もブログを放置する事があった。
そして、今年の1月に 「父との最期」 を綴るまでは、今まで以上、何カ月もに亘ってブログを放置した。
自分の勝手で長い間放置している間に、今まで交流のあったブロ友さんがブログを止めてしまわれたり・・・・・
と、全くの自業自得ではあるが、開始当初からお付き合い下さっていた方との交流は激減した。



今書いてるこの文章が、その方たちの目に届くかはわかりませんが
あの頃、あんなに色々なお言葉で私を支えて下さった方々・・・・・
大変に申し訳ない気持ちと、本当に有難う。と言う、感謝の気持ちでいっぱいです。
本当に有難うございました


そして、ブログ開始暫く経ってから、今日までの長きに亘りお付き合い下さいました方々
途中の休止期間があったものの、その後も変わらずお付き合い下さり本当に有難うございました!
心より感謝申し上げます


そしてそして
今年の1月に、長い休止期間を経てから、新たにこのブログにお付き合い下さいました方々の方が最近は多いような気が致します。
いつもこの様な駄ブログにお越し下さり、応援ポチ!までして下さり、この読みにくい駄ブログに最後までお付き合い下さいました事、本当に有難うございました
私はお邪魔させて頂いておりながら、変な人見知りでコメントを入れさせて頂く事をしませんでした。
いつも見に来て下さるお礼と、お邪魔させて頂いた事への感謝をこめて 「拍手ポチ!」 と 「バナーをポチ!」 っとさせて頂く事だけしか出来ませんでした。
本当に失礼ばかり・・・・・本当に申し訳ありませんでした。



最後になりますが・・・・・
とても有難い事に、このブログを
「続けて下さい」 「消さないで下さい」
などと、何とも勿体無いようなお言葉をかけて下さった方々が居て下さいました。
大変身勝手な我儘で、お目障りな方もおられると思いますが、完結後、1カ月ほどだけ
「日本ブログ村」
に、このままこのブログを置かせて頂きたいと思っております。
そしてまた、何かのかたちでブログを始める事になるかも知れませんが、その時は、またどうぞ宜しくお願い申し上げます!

沢山の方から有難くも頂きましたコメントは、個人のPCにて1つ残らず、大切に大切に・・・・・
全てを保管し、今後も大事な宝物として頂戴しております^^




この様な駄ブログにお付き合い下さいました皆様へ。
4年と5か月間、本当に有難うございました
心からの感謝を申し上げます

そして・・・・・
現在も闘病されていらっしゃる方
大事な方が闘病されておられる方
また、そうではない方々

皆さまのお心の健やかなる事を、心よりお祈り申し上げます!
本当に本当に有難うございました


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2014. . 10

偲ぶ会

6月10日(火) ※今日の日記は物凄く長いです

父がお世話になったホスピスでは、年に2回 「偲ぶ会」 と言うものが行われる。
その会の事は以前から ホタルちゃん に聞いていた。
私の自宅にも案内状は郵送されてきて、約束した通り 「参加」 するに〇をつけて返送した。
もうこの辺の記憶は定かでないが、確か・・・・・(一昨年の)9月?10月?頃に行われた気がする。
母や兄にも声をかけたのだが、2人共 「参加しない」 と言う事で、姉と2人で参加してみた^^

約、半年ぶり位に再会できるであろう看護師さんたち。
会に興味があって参加すると言うより、久しぶりに看護師さんたちとお会いしたいが為に病院へと出向く。
ホスピス病棟が入っている病院内で行われるのではなく、病院の真ん前にある建物で会は行われた。

まず、受付を済ませる時に ソーシャルワーカーのYさんとお会いする事が出来たのだが・・・・・
Yさんに 
「ご無沙汰しております。その節はお世話になりました!」 
と、お声をかけさせて頂いたのだが、Yさんは姉や私の事が直ぐには分からなかったようで
「あ、はい。お久しぶりです。・・・・・・・・・^^?」
てな感じで、暫く間をおいてから気付いてくれた。
「あっ!S崎さんじゃないですか!あの頃と随分と表情が違うので直ぐに分かりませんでしたよ~^^;
表情も随分と明るくなられて、とってもお元気そうですね・・・・・良かったです♪」
そう仰ってくれたのだが、自分達では分からないものの、お世話になっていたあの頃はそんなに表情が暗かったのだろうか^^?
・・・・・まぁ、だとしても、それは当然と言うか、致し方ないのだろうと思った。

建物内に入り、指定された席に着く。
ふと周りを見渡すと、参加された人数は、多分、遺族の方だけでも50~60人はいらっしゃったであろう。
そのご遺族たちが1テーブルに4人ずつ座り、同じテーブルに病棟関係者の方が1人着いてくれる。
姉や私の座った席は、やはり半年ほど前にお父様を亡くされた娘さんと、そのお母様が座られた。
そして病棟関係者の方は、看護師さんではなく ”若先生” がご一緒してくれた。

会の内容は、ここのホスピス病棟にて2年内に亡くなられた患者さんの遺族が集まり、お互いに当時の話や現在の苦悩を話し合い、少しでも悲しみを柔らげましょう(?)と言った趣旨。
病院長の話から始まり、ご遺族代表の方の話や、ホスピス病棟看護師の代表として ホタルちゃん の話。
その後、病院内看護師さんたちのコーラスや、おじいちゃん先生とピアノ伴奏の方の楽器の演奏などなど・・・・・
中でも、あまりのクオリティの高さに驚いたのは、看護師さんたちのコーラス。
ぶっちゃけ、歌を聞く前はそんなに期待もせず、逆に、目の前で歌われる事がこっぱずかしい気持ちだった。
だが、3曲ほど歌われたその歌声のあまりの素晴らしさに、ほとんどの方が涙するほど!
私も感動して泣きそうにはなったが、そこは捻くれ者の私。
周りの方のあまりの泣きっぷりを見ていると、素直に泣けなくなってしまった^^;
そして横目で隣を見ると、私の姉は予想に反して大号泣・・・・・なんて素直な人なんだ!と、ちょっと感心しつつも歌を聞き終った。

その後、約30分ほど、各テーブル内で様々な話をする時間が設けられた。
若先生や姉や私は、最初黙っていたのだが、ご一緒した娘さんが口を開いた。

お父様が何の癌で、どのような治療経過を辿り、ここのホスピスへ入所する事になったかの経緯。
ホスピスへ入所する前に通院していた病院。その中で負った心の傷。
もっと何か出来たであろうと後悔する言葉の数々。
そして娘さんの言葉に同調するように、お母様の方も口を開いた。
長年連れ添われた旦那様へ、妻として、もっと寄り添う事は出来なかったのか?
もっと遣れるべき事があったはずなのに・・・・・と、やはり後悔の念を言葉にされていた。
そして、娘さんも仰っていた事なのだが、ホスピスへ入所する前に通院していた病院や医師に対する、不信感を露わにする言葉の数々。
お2人共に涙を流され、悔しさや悲しさ、寂しさや後悔を次々にお話しされていた。

順番で・・・と言うか、話の成り行きから姉や私も父との事をお話しした。
なのだが、姉や私はこれと言って後悔の言葉は出てこなかった。
後悔の言葉が出ない・・・・と言う事は、単なる自己満足に過ぎないかも知れない。
本当はもっと遣るべき事や、遣れるべき事があったのかも知れない。
だが、それらを踏まえた上でも後悔の言葉は出てこなかった。
何故か?・・・それを考えてみる。
原因が1つだけで無い事は確かながらも、その娘さんたちは、お父様とお別れする時間があまりにも短すぎた。
長い、短い だけで計り知れない事は十分に分かっている。
だが、私たち家族には お別れする時間 が想像以上に長く与えられた事も要因の1つだと思う。
その事は本当に感謝すべき事なのだと、痛いほど感じた。

その後は若先生も口を開き、5人で様々な会話をしたのだが、若先生のお話しには酷く感銘を受けた。
私も父との事があったから 「何か人様のお役に立てるような仕事がしたい!」 と目標を掲げ、資格取得や勉強に励むようになった。
でも、現在はまだまだで、その目標には至っていない。
若先生は、まだ当時ホスピス医になりたての頃に、ここのホスピス病棟でご自分のお父様を看取られたそうだ。
その後、ホスピスに対する思い入れが一層強くなり、少しでもより良いものに出来るようご尽力しているご様子。
そして、それから僧侶の資格(?)を取り、法名もお取りになった。
元々、医師であったとは言え、やはりお父様の事をきっかけとして、高い目標を胸に掲げ励まれていると言う。


これは余談だが
おじいちゃん先生は、昔、海外でもバリバリとご活躍されていた外科医らしい。
だが、十数年前にご自分が癌を患った事で、今まで自分が携わってきた 「病院のあり方」 や 「医療のあり方」 また 「患者に接するあり方」 に疑問を持たれ、自分が癌を経験した事で余生のあり方を考え直し、ホスピス医となられたそうだ。


長いと思われた30分のフリートークの時間だったが、気が付けば あっ! と言う間に終わってしまった。
ご遺族の気持ちだけではなく、病院関係者の方の胸の内も沢山お聞きする事が出来た。
そして皆さんのお話を聞き、色々と考えさせられる。

当たり前だが、患者さんやご遺族の方も、人其々で皆違う。
自分の心に負った傷や悲しみも、また、その受け取り方も各々違う。
まだまだ傷心の真っただ中で苦しまれている方も沢山おられて、前を向く事も、先に進む事も出来ず苦しまれている。
会に参加されたご遺族の方々、大体の方はそのように見受けられた。


会も滞りなく終わり、昼食をはさんで午後からも何かあるらしかったが、姉と私は昼食も摂らず帰る事にした。
帰る間際、ホタルちゃんや会いたかった看護師さんたちにお会いする事が出来、お話しする事も出来た。
の・だが、その中に I 崎さんの姿はなかった。
その時に 「手紙」 の事を含め、I 崎さんの事を聞いてみたのだが、ホタルちゃん曰く、私たちがお世話になった翌月に、旦那様の都合で千葉に引っ越す事になり、病院を辞められたそうだ。
ホタルちゃんは
「その手紙を送ったのは、多分、 I 崎でしょう・・・・・
残念ながら I 崎はこの病院は辞めましたが、引っ越した先でも看護師は続けると言ってました。
この病院の時の様に、ホスピス病棟の看護師を続けたい!と言ってましたよ^^」
そう仰った。

私が手紙を貰った時には、既にここの病院は辞められていた I 崎さん。
現在はどこの病院におられるのかも分からない。
けど、今もどこかのホスピスで、私たち家族に寄り添ってくれたように、他の患者さんやご家族さまに寄り添ってくれておられるだろう。
2年以上経った今も、忘れず感謝している。
I 崎さん、病棟看護師さんや先生・・・
ソーシャルワーカーのYさんに、私たち家族に携わって下さった沢山の方々。

「次回の会にも是非、参加して下さいね^^」
と、看護師さんや若先生は仰ってくれた。
若先生は、今の私が資格取得の為に勉強をしている旨を話した事から
「そのような志があって、資格を取られたり勉強されているのなら、是非、ここの病院で共に働きましょう^^
何年でも待っていますよ♪」
そんな有難いお言葉もかけて下さった。
「次回も参加・・・・・」 そうは言われたが、姉がどう思ったかは分からないが、私は次回の会には参加する気持ちがなかった。

有難い事に私たち家族には、父とお別れするまでの時間が沢山あった。
「3カ月から半年。抗がん剤が上手くいって1年。」
その余命宣告を超え、丸々3年に亘って父と過ごす事が出来たし、大事な想い出も沢山貰う事が出来た。
そして、父が教えてくれた事で、自分が進むべき道?自分の目標?が見つかった気がする私。
父に会えないのは寂しいけど、悲しみにくれ、立ち止まっている時間はもう過ぎた。
この先は、目標に向かって邁進するだけ。
なので、偲ぶ会にはもう参加しない。
改めて目標に進む決心を自分の中で再確認し、そう決めた出来事だった。


長々と・・・最後まで読んで下さった方へ、有難うございました
次回の更新をもって、ブログを完結したいと思います。

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2014. . 06

手紙

6月6日(金)

父の納骨も終わって暫く経ち、日常も徐々に落ち着き始めた頃。
お世話になったホスピスから私の自宅へ手紙が届いた。
「そう言えば秋口に ”偲ぶ会” があるって言ってたから、それの案内状か^^?」
そう思い、封筒を開けてみる。
しかし、その中身は、案内状とはとても思えぬピンク色の便箋が2枚入っていた。

考えてみれば・・・・・案内状であれば病院名(病棟名)や宛先などは印刷されてくるのだろう。と思う。
だが、差出人は 「H病院 ホスピス病棟 看護師一同 (代表でホタルちゃんの名前)」 となってはいるが、誰かの直筆、手書きのものである事は直ぐに分かった。
「はて?案内状じゃなかったら、一体・・・^^?」
そんな思いで、便箋に丁寧に書かれた文字を読み進めて行った私。


せっかく人様から頂いた手紙の内容をブログに晒すのは如何なものか?
と思うので、ざっと内容だけを箇条書きにして書いてみる^^;

〇 長年、ホスピス病棟で看護師として働いているが、私たちのような家族とは初めて出会った。
〇 患者と、その家族のあり方を良い意味で再認識出来た。
〇 看護師として、私たち家族と携われた事を感謝している。
〇 虚無感に苛まれる事の多いホスピス病棟の看護師。だが、私たち家族との関係では其れに苛まれる事はなかった。
〇 人と人、家族の絆を教えて貰った。

などなど・・・・・
箇条書きにしてみると、どの面下げて、よく恥ずかしげもなく書けるよな
と、我ながら思うのだが、上記のような内容が言葉を変え、表現を変えて繰り返し書かれてあった。
だが、そんなにお褒めの言葉を並べられても、素直に受け取る事が出来ない捻くれた私。
「またまたぁ~~~もう!社交辞令が上手いんだからぁ~!
看護師さんも大変だよなぁ~~~・・・・・遺族の為のアフターフォローも、こうやって全てのご遺族にされてるんだもん。
仕事だけでも大変で忙しいだろうに、こうやって個々に手書きの手紙まで出さなきゃいけないなんて、本当、頭が下がる。
こんな手紙を貰ったら、どのご遺族だって ”自分たちの最期のあり方” を、後悔しなくて済むだろうな!」

このように、遺族を労う言葉を敢て書いて送ってくれる事は、ホスピス病棟で働く看護師さんの 「仕事の一環」 なのだと勘ぐりつつ・・・・・
それでもその、温かいお心遣いを下さる事には感謝の念でいっぱいになる。
「どんなに今、出来うるすべての事をやったとしても、少なからずの後悔は残るだろう。
でも、後悔は少なくあるように、精一杯の事を今はやろう!」
そう思いながら、父との闘病生活をおくってきたつもりの自分だった。
そんな懸念がありつつも、父亡き後は不思議なほど後悔する事がなかった私。
でも、後悔ではないのだが、少なからず 「あの時もっと、どうにか出来なかったのか?」 と、自問自答する事はある。
そんな思いを抱えていても、このような優しい言葉の数々を頂くと、そんな思いさえ薄れていく。

例え 「仕事の一環」 や 「社交辞令的なもの」 であったとしても、胸に抱える痛みや思いも、それらの言葉が拭い去ってくれる気がした。
最初は サラッ と読み流すように読んだ言葉の数々。
だが、その後、何回も立て続けに、繰り返し繰り返し・・・一文字一文字を噛み締めるように何度も読み返した私。
そして、何度も何度も泣いた。

その後は頂いた手紙を実家に持って行き、母や兄にも見せた。
勿論、姉の家族にも読んで貰った。(私の元・旦那にも)
皆、その手紙を読んでの開口一番は
「看護師さんて本当に大変だね!こんな手紙も書かなきゃいけないんだ!」
と、私と同じで捻くれた発言をしてはいたが、何度となく読み返し、やはり皆、目に涙を浮かべていた。

これは姉と私の勝手な憶測ではあるが、この手紙を書いてくれたのは I 崎さんだと思った。
父の担当だったから。との理由ではなく、差出人さえ
H病院 ホスピス病棟 看護師一同 (代表でホタルちゃんの名前)
とはなっているが、この手紙は I 崎さんが仕事の一環としてではなく、あくまで ”個人的に” 私たち家族に宛てて書いてくれたのではないだろうか?
何度となく読み返した、とても温かな言葉の数々に、優しさの詰まった文章。
読めば読むほど
「きっと手紙の主は I 崎さんでは?」
の疑問も
「この手紙をくれたのは、絶対に I 崎さんだ!」
との確証にかわった。

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