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2011. . 04

早すぎる訃報

2月4日(金)

一昨日に聞いた、あまりにも早すぎる訃報。
Iさんのお義父様が旅立たれたそうです。
しかも・・・
数日前に『優しい時間』のタイトルで書いた日記・・・・・あの時には既に。
知らなかったとはいえ・・・私は馬鹿だ。

以前からIさんには(1月)25日位に退院する旨を聞いていた。
『退院当日は俺が車出したりで動かなきゃいけないから、会社は休みます』
と聞いていたし、実際に有給届けが出されていた。
そしてその後も数日社内でIさんと会うことは無かった。

24日の夕方、私が退社する際にはIさんと顔を合わせていたが、私も実家に行く為急いでいたし、Iさんの口からも何かを聞くことはなかった。
何となくだが、何かを話したそうな雰囲気は感じたものの、翌日のお休みの事かな?と勝手に想像しただけだった。


Iさんは営業職の為、普段から社内に顔を出さない事も日常茶飯事である。
25日から一昨日前まで顔を合わせないでいたが、珍しい事でもない。
ただ・・・
顔を合わせないにしても、会社に来た形跡は何かしらあるのだが、会社に来ている形跡もない!
『お義父様が戻られた事で、色々と動き回り忙しいのかも?』
と思いながらも、それとなく社長に聞いてみた。

『Iさん、会社に来ている形跡がないようですが、仕事で動かれてるんでしょうか?』
と聞く私に社長は
『う・うん・・・』
と、煮えきれない返事。
何かおかしい!と思い、再度社長に尋ねてみる。
『Iさんから何か連絡は入ってるんでしょうか?』
すると社長は小声でボソッと仰った。
『親父さんが亡くなったらしいよ。』
それを聞き、社長に向かって思わず言ってしまった!
『うそでしょ?なんで・・・?いつ?・・・だって退院しているはずじゃ?』

そしてその日、Iさんは夕方会社に来られた。
私と2人になってから、Iさんは詳しい事を話して下さった。


1月23日(日)の夕方、病院から電話がかかってきた。
そしてその電話でお義父様が昏睡状態なのを知り、急いで奥様とお義母様とお義兄様とで病院に向かおうとした。
その時、過労からかお義母様が倒れてしまい、救急車を呼びお義兄様がお義母様に付き添うことになった。
Iさんは奥様と娘さんと3人でお義父様の病院へ向かわれた。

病院へ到着後、暫く付き添われていたが、お義父様は何とか意識を取り戻された。
そして何とか危険な状況を脱したようだ。

明けて24日、親戚中に連絡を入れ皆を呼んだ。
他の方と入れ替えにIさんは一時帰宅後、仕事に戻り夕方会社に来られた。

ほぼ睡眠もとらず、仕事に戻り、そしてまた仕事が終わった後に病院へ戻られたそうだ。
救急車で運ばれたお義母様も一過性のものだった為、入院する事もなく24日の夜は一緒に病院へ行く事が出来たそうだ。
そして・・・
明けて25日、午前1時過ぎ。
ご家族様、ご親族様が見守る中・・・皆様に看取られ、お義父様は安らかに旅立たれて逝かれた。


本当であれば、その日は退院し、ご自宅へ戻られる予定であった。

何も知らない私は、Iさんが予定通り有休もとられていたし・・・
予定通りにお義父様をご自宅へお連れし、ご家族様と穏やかなる時間を過ごされているものだとばかり思っていた。
会社に来た形跡がないのも、ご自宅で療養されるお手伝いやら何やらで、忙しく動き回られているものだとばかり思っていた。

Iさんから聞いていた諸々のお話も・・・
奥様が聞いた話をIさんが聞き、その話を私は聞いていたからか?随分と状況が違うもので在った為、『何を根拠に?』と思われるかもだけど・・・
私はまだ、その時ではないと思っていた。
確かに、厳しい状況には変わりないが、お義父様に残された時間がそんなに短いものだとは思えなかった。

その時が近づくと・・・
自然と身体が栄養を欲しない為、飲んだり食べたりは出来なくなる。と、言うより、しなくなる。
傾眠傾向にあり、徐々に寝ている時間が多くなる。
痛みが強くとも・・・あまりにも体力が低下しているのに、強い痛み止めを投与してしまうと、そのまま意識が低下してしまい昏睡状態に陥り、そのまま目覚める事がなくなってしまう。
そして・・・
栄養を欲していない身体には、無理に栄養を補う治療等はしない。

その他にも・・・
全て必ずしも当てはまるとは言えないけれど・・・
そして私の書き方が詳細ではないし、かなりはしょって書いてるから、誤解を招くような表現があるかもだけど・・・

私の父が膵臓癌を告知され、様々なブログや本、またホスピスに見学に行った時に専門医に聞いていた話。
直接、医師や、実際に親戚が癌で亡くなっていった様・・・
自分の経験も含めてだけど、見たり聞いたり経験も含めての今までの見解。

Iさんのお話を聞く限り・・・お義父様はまだその時ではない!そう信じてた。
なので話を聞く限り、病院側の対応にも不信感と怒りしか沸かなかった!
聞いた話ではお義父様は『無治療』であった。
痛みをずっと訴えていたのに、何の処置も治療もされていなかった。

ふと、Iさんに聞いてみた。
『痛みのあるお義父様に、何故に無治療なのか?と、食べれないお義父様に何故に点滴さえもしないのか?
病院側から何か説明はあったのでしょうか?
無処置、無治療である理由がご家族様に説明されていたのでしょうか?』
すると
『そうなんだよね!あまりにも酷いと思って、嫁が看護師さんに言ったらしいんだよ!
それでやっと・・・医師の方から、23日の昏睡状態時に初めて説明されたんだけど・・・
こっちはそんな事ちっとも判らないから、本当に酷い病院だと思ってたんだよね。
だって何の説明もしてくれないんだもん!こっちは不安だよ・・・
でもね、後で良くしてくれた看護師さんから、”説明が不十分で申し訳在りませんでした”って、謝罪があったらしいよ・・・』
と、仰った。

それを聞いて思った。
インフォームド・コンセントがしっかりとなされたいなかったんだ。と・・・

過去を蒸し返しても始まらないけど・・・
もしご家族様がそれを知っていたならば、加入している保険がどうとか、在宅療養の準備が出来ていないとか、そんな事は二の次で・・・・・お義父様をお家に帰らせてあげたいと思ったのでは?
ただ一方的に『在宅なら早く退院して下さい』との言葉ではなくて、ちゃんと医師から
『今を逃すと、もうご自宅に帰られないかも知れません。
1日も早く退院され、ご自宅で過ごせる時間を大事にして下さい。』
と、説明がされていたなら・・・

入院されてから、あまりにも時間が無さ過ぎて・・・
色々と調べたり動かれたり、状況も把握仕切れない状態での病院側の対応に、どれだけ不信感を抱かれ、どれ程の不安と心配を抱えられていた事か・・・・・『自宅に連れて帰ってあげたかった』と、どれだけ悔やまれた事か・・・

お義父様のお気持ちやご家族様のお気持ちを考えると・・・本当に胸が痛い。そして、悔しい。
そして・・・本当に早すぎる。
Iさんからのお話を聞き、何とも言えない気持ち・・・的確な表現方法が見つからないけど、ただただ、本当に悲しかった。悔しかった。心から病気を、癌を憎んだ。



お義父様・・・
どうか安らかに・・・・・ごゆっくりとお休み下さいませ。
心よりご冥福をお祈り致します。


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2011. . 21

疑問を通り越して怒りさえ感じる!

1月21日(金)
一昨日、昨日と父、イチローが精神的に不安定・・・
一昨日は、仕事後帰宅して間も無く父から電話があり、30分近く話を聞いていた。
だが、電話よりも直接顔を見て話しを聞いた方が良いのでは?と思い、昨日は仕事後に実家へ行き、直接父の不安ごとを聞いてきた。

これは周期的にある事で、今に始まった事ではないのだが・・・・・
いつもの如く長くなりそうなので、この話しは後日の日記にでも書くとしよう。




Iさんのお義父様のその後
今日の朝Iさんから聞いたお話しなのだが、昨夜、奥様と喧嘩をしてしまったらしい
それを聞き『えぇ~~~何でまた?』と返す私に
『話しの流れでさぁ~・・・嫁が”お父さん、そろそろ危ないのかも・・・”って言い出して・・・
俺も”しょうがないんじゃない?”って言っちゃったんだよね!
そしたら嫁が、その俺の言い方が気に入らなかったみたいで怒っちゃってさぁ~!』
との事であった。
一見、この話しだけを聞くと『その言い方は酷いっ』と言いたくもなる発言なのだが、よくよく聞くと、その前に話していた会話の延長線上で出た言葉らしい。

お義父様は依然、食欲もなく・・・自ら好んで飲んだり食べたりをしないらしい。
食事が出たところでその殆どを残してしまう。
正確には、食べる気力もないのだが『食べられない!』と言う方が正しいと思う。
体力は日に日に衰えていき、今では自らの足でトイレに行くのも困難な状態・・・
奥様やお義母様は『ポータブルトイレ』や『オムツ』を薦めたいのだが、お義父様のプライドを考えると、無理にでも!と言う事が出来ないらしい。
また、当のお義父様も『嫌だ!』と仰るのだと言う。
そして話しはそのまま先に書いた『そろそろ危ないのかも・・・』に続いた。と、言う経緯。

Iさんは
『そんな体力の無い状態で、無理にトイレへ行かせる方が無茶だ!
そんな時に”プライド”なんて言ってる場合か!そういう状態であれば嫌でも何でも”しょうがない”』
と言う意味合いで言ったのだ。
しかし、奥様の弱気な『そろそろ危ない・・・』の言葉に対しての意味合いも正直あった!とIさんは仰る。

『絶対に大丈夫だよ!と言ってやりたいけど・・・
俺にはそんな無責任な言葉は、正直言えないよ。
それに嫁が自分で言った言葉に相槌を打つって言うのもおかしいけど・・・嫁の話す言葉に色々な意味を込めて”しょうがないんじゃない?”って、嫁を落着かせる意味で言っただけなんだけど・・・』

う~~~ん・・・
勿論Iさんの仰る事も一理あると思うし、気持ちも判る。

そしてまたしても考える・・・言葉のチョイスは難しい!
言う側と言われる側・・・『その通り』と思える言葉を言われたとて、その時の精神状態に見合った言葉で無い限りは反論も出るし、『そうかもしれないけど、そんな言い方するなんて酷いっ!』と思ってしまうのも致し方ない。
ただ・・・私をその時の奥様に置き換えたとして考えてみると、
『もうちょっと違う言い方をしてくれても善いんじゃない?』
と思うんだろうなぁ~!と感じる言葉。

奥様だって、そんな弱気な言葉を言いながらも・・・
心の中では『絶対に大丈夫!まだまだ平気だ!』と祈り・願っているに違いない!・・・と、思う。
ただ厳しい現実を目の当たりにし、大好きな父が・・・自分の目の前で日に日に弱っていくのが判るのに、何もしてやれない事が悔しい!寂しい!遣り切れない!
そんな思いで、弱気になってしまい出た言葉だと思う。
そんな自分に
『そんな弱気な事を言うな!大丈夫だ!』
と、弱音を吐く自分を嗜めて欲しい・・・そして勇気付けて欲しい・・・
そんな気持ちで言った言葉なのでは?
本当は自分の頭でも判ってる事・・・言葉に出して否定したい時や、ただ聞いて貰って賛同して欲しい時もある。
Iさんが奥様に言った『しょうがないんじゃない?』は、奥様の精神状態にはそぐわなかったと言う事だ。

難しい・・・
でも・・・ご夫婦間の事は、アレコレと他人の私が言える事でもないし・・・
ただIさんには
『あれじゃないですかね?奥様も”もうちょっと他の言い方があるでしょ!”って、思っただけじゃないですか?
・・・ほんと、言葉のチョイスって難しいですよね^^;』
と、だけ言ったのだが・・・


と、それよりも・・・・・
『食べられない』お義父様に、病院は『無治療』だという事はこの間聞いていたが、今では
『どうせ食事を出しても食べないのだから』との事で、病院からは食事も出されていないらしい!
『水分も摂らず、食事も摂らないなら”梅干”でも食べて下さい!』
と言われた!らしいのだが・・・・・

何じゃそりゃ?
そんなのってアリなのか?それでも病院なのかっ!!!ヽ(#`Д´)ノ┌┛

なに?また私が知らないだけの事なの?
そんな病院て本当にあるの?そんな事で許されるの?

と、疑問を通り越して怒りをも覚える病院側の対応!
Iさんは勿論、お義母様や奥様も怒りさえ感じていると言う。
何故ご家族なのに、病院側に抗議をしないのか?と、思うのだが・・・
病院側は『早く退院して下さい』のスタンス。
加入している保険の事や、在宅療養出来る環境が整っていないを理由に、ご家族はまだ退院させてあげる事が出来ないジレンマ!との事。
病院側に強気に出れない辛いところなのだろう。



別にご家族を非難するつもりは毛頭ない!
そのご家族なりの考え方や事情もおありになる事だ。

でも・・・私なら・・・・・
保険の事がどうあれ、本人が『家に帰りたい』と望んでいて、病院でも無治療であるのなら・・・
1日でも早く・・・まだ身体の自由が利くうちに、家へ帰らせてあげたいと思う。
好きな事を出来るように、少しでも安らげる時間が持てるように、帰りたい!と望んでいる家に連れて帰ってくる!

人其々・・・などと言っておきながらも、そんな風に考えてしまう自分。
Iさんご家族の事・・・お話しを聞くだけで、内情は何も知らないくせに・・・そんな風に思ってしまう自分に苛立ちを感じる。

Iさん・・・ご家族様、ごめんなさい!・・・そんな自分に反省です( ノω-、)


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2011. . 15

緩和ケア、ホスピスを考える。

1月15日(土)

昨日も仕事の終了時間近く、Iさんが会社に戻って来ていた。
一昨日も戻るには戻って来ていたのだが、私から何かを聞いたりするのは何となく気が引けたので止めておいた。
しかし・・・
それこそ『ただの同僚・明らかなる第三者』の私の方が『どうされたのか?』と気をもみ過ぎて昨日は私から聞いてみた。

Iさんから聞けた話は
『これと言って変化なし!・・・ただ、お義父様の体調は依然下降気味。』
だと言う。
液体は飲み込めるが固形物は受け付けない。食べる気力もないらしい。
『点滴はされているんですか?』
の問いにも
『病院では全くの無治療・・・ただベッドに寝ているだけ』
との事であるが、食事を摂れない、または摂る気力もない患者に対して『少しでも栄養が摂取できる方法』を何故に施さないのか?と疑問に思い、再度Iさんに問うてみた。

『あはは・・・そう!そうだよね!普通、そう思うよね?
でも、本当に何もして貰ってないんだよね!・・・おかしいよね。』
病院側は早く退院させたいらしい。
治療の出来る患者さんをガンガン受け入れて、言い方は悪いが『患者をまわしたい!』主義だと仰った。
加入している『生命保険』が大分昔のものらしく、今退院しても保険金が給付されるのか?という事と、まだ実際には在宅でケア出来る準備が整っていない事。
病院には
『まだ在宅で療養させられる準備が整っていないので、もう少し入院させて下さい。』
と話をしているらしかった。

色々と聞いたIさんのお話では、Iさんの奥様は以前にヘルパーさんのようなお仕事をされていたそうだ。
その奥様が仰るには
『全くの知らない赤の他人、第三者的立場だったからお世話する事が出来た。
実の父親を看護する事、お世話する事は出来ない・・・したくない・・・・・
何もしてやれずに目の前で弱っていく父を看るのはあまりにも辛い。』
と言うのだそうだ。
そしてご親族様の中には『ケアマネ』をされてる方もいらっしゃるとの事。

私からすると『何とも頼もしい♪』と思うのだが・・・・・
やはりそのご家庭、ご親族の間柄は他人が一言で片付けられるようなものではない。
色々と複雑なものがあるらしい。

私が数日前に『ホスピス』の話をしたのをIさんは奥様にお話したらしく、ご親族のケアマネさんに相談し、実際に見学に行かれたそうだ。
私の住む地域では結構有名なところで、ただでさえ『ホスピス』は高額なお金が必要とされるのに、見学に行かれたところは『超、高額』な金額設定で、入院するのに待機するのは勿論の事なのだが、2次面接まであるらしい。



今からほぼ2年前・・・・・
ブログを始めた当初にも『ホスピス』と言うタイトルでブログにも載せた(書いたのは1年程前)のだが、父の膵臓癌が発覚し、今の地元にあるI病院へ転院してから直ぐに主治医と病院内にある『医療相談室』のソーシャルワーカーさんに『ホスピス』の事を相談し、紹介して貰い、兄と2人で隣市にあるホスピスを見学してきた。

ホスピスを初めて知った時、正直『死に行く場所・・・死を待つ場所』と嫌な印象しかなかった。
しかし、実際にホスピスで働く医師の書いた本を読んだりして、その印象も変わった。
紹介された病院は、近隣にあるホスピスでは1番金額も安いところであったが・・・・・

不謹慎なようだが、よほど金銭的に余裕があれば話しは別だし、金銭の話などしたくはない!
でも、正直とっても重要な事である。
ホスピスに入所してからだって、無論長生きをして欲しいと願い望む!
しかし現実は甘くはない。1ヵ月の入院代で一体幾らかかるのだ!?
それが、半年・・・1年・・・・・だとすると、とんでもなく高額な金額になってしまう。

でも、それでも私は・・・
もし父にホスピスの話をしたとして、父がそれを望むのなら・・・
どんな事をしても、また昼夜仕事をしてでもそのお金を用意する、稼ぐ為に働こうと決心していた。
有難い事に、父には未だホスピスの話はしなくても善い現状だ。
と、言うよりも・・・
いざ、その時が来た時・・・・・・父には、父が望める選択肢を1つでも増やしたい!そう思って、ホスピスを視野に入れて考えただけに過ぎない。
勿論父が『在宅で』と望むなら在宅で!と思う。
とにかく父には『痛い・辛い』思いをさせたまま逝かせたくはない!何もできず、断末魔の中で逝かせるなんて絶対にしない!
家族の看取る中、穏やかに・・・・・それだけが願い。

話が逸れちゃったけど・・・
Iさんの奥様が見学に行かれたホスピスは、目が飛び出る程の金額提示だったと言う!
それを聞き、私が見学に行った病院の話をしたが、その病院の事も紹介はされていたらしく、ただ『いかんせん遠い!』それが難点らしい。
Iさんに聞かれた。
『見学に行った病院はどんな感じ?』
私は感じたままをお話した。
『そっかぁ・・・嫁が見に行った病院の感想を聞いたら、嫁は”最期をあんなところで迎えられたら幸せなのかもね”って、言ってたよ!
でも・・・結局は金持ちしか入れないって事だよね!
本人が望めば入れてあげたいけど、現実は厳しいよ・・・しかも本人には”余命”を伝えて、その上で本人が納得して入所を望んでいなければ入れないし!
だいたい、お義父さんには余命宣告されたなんて言えないって話なのにね。』




これは貧乏人の僻み?それとも開き直りの逆切れ?考え方の歪み?
結局は・・・・・金・金・金!
死に方1つも貧乏人は自分で決められないのか?
生きる希望を抱き、また望んでいるのに・・・生きる為に必要な治療。
受けたい治療も保険適用外で受けられない治療もある。
生きる為に・・・病気に立ち向かう手段でもある、必要としている受けたい治療!
でも実際はそんな事も侭ならない事がある。

別にホスピスを否定もしていないし、本人が望むのであれば、絶対に素晴らしい機関だと心底思っている。
しかし、望みとは別として・・・
金銭的問題で断念される方だって沢山いらっしゃる。

私がまだ幼い頃・・・
『みぃー。を養女に!』と言ってくれた、私を可愛がってくれた叔父夫婦。
叔父は末期癌でアル中で・・・・・挙句に首を吊って自殺した。
その数年後・・・
身よりも無く、お金もない叔母はたった1人で・・・誰にも看取られる事も見送って貰える事も出来ず、痛みの末に病院でひっそりと息を引き取った。

我が父、イチローは叔母の『緊急連絡先』として、実家の電話番号を病院へ伝えていたと言う。
それなのに掛かってきた電話は市役所から。しかも叔母の火葬が終わってから・・・
そして私がその話を両親から聞いたのは、叔母が亡くなってから暫く経ってからだった・・・
叔母は無縁仏となってしまう!何で・・・どうして・・・・・

自殺した叔父は自分の墓を持たなかった。
叔母は入るお墓も無い。

今、叔父と叔母は実家のお墓に共に眠っている。
叔父の実の母である、私の大好きだったお婆ちゃんと一緒のお墓。
そして私が産む事が出来ずに逝ってしまった子供達と同じお墓でもある。
生前は祖母と仲が悪かった叔父夫婦であるが、お墓の仲では喧嘩なんてしないで欲しいな^^;
きっと仲良くしてくれてるでしょ!と、願っている。



また話が逸れちゃった(-_-;)

実際に私も見学に行ったけど・・・
Iさんの奥様も見学に行かれたものの・・・

ホスピスなんか見学に行くなんて、結局なんだかんだと言いながらも諦めてるんじゃないの?
なんて言われたら敵わない!それこそ冗談じゃない!
断じてそんな事はない!これだけはきっとIさんの奥様も同じ気持ちだろうと思う。

ただ・・・
父に必要以上な辛い思い・痛い思いをさせたくないだけ!
ただ、それだけなんだ。




・・・Iさんからこんな話も聞いた。
奥様も自他共に認める 『ファザコン』 だそうだ♪(〃∇〃)v



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2011. . 12

桜は咲く!・・・生きて、必ず。

1月12日(水)
昨日のブログを更新し、(相変わらず社内でのブログ更新^^;)
そろそろ退社時間が迫ってきた頃、私は片付けをするべく給湯室で作業をしていた。

昼間にIさんと話しをしていた矢先、普段から社内に居る上司が昼休みから帰って来たので、そのまま話しは終わり、Iさんは上司と入れ替えに外出して行ったのだが、退社時刻間近に帰って来た。
給湯室に居た私は気が付かないでいたのだが、Iさんは手を洗うべく、私が居る給湯室に入ってくるなり手を洗いながら小さな声で言った。

『あのね・・・春まで持たないだろうって・・・』

急に言われた私は一瞬『^^?』と、頭が働かない!
そしてIさんは続けざまにこう言った。

『今年の桜は見る事が出来ないでしょう・・・そう医師から言われたんだ。』

それを聞き、私は頭が真っ白になってしまった。
『今は冬・・・1月だからぁ~・・・
春?春って言うと来年だよね?・・・あれ?違うぞ!
桜・・・?
えっ!なにっ?・・・春まで持たない?桜が見れない?・・・えっ!なに!
うそでしょ?春って今年の春の事だよね?
・・・・・桜って3月の終わり頃から4月初旬頃に咲くんだよねぇ?
って事は・・・・・ええっつ!!!』
直ぐに言葉が出てこなかった。やっと出てきた言葉は

『春って・・・桜って・・・あと数ヶ月じゃないですか!
そんな・・・それじゃ、あまりにも早すぎますよ!そんな・・・・・』

私の発した言葉に
『うん・・・そうだよね・・・・・でも・・・そう言われたんだ。』
とIさんは一言残し、給湯室を出て行った。


上司を含め、暫し退社時間までは黙々と仕事をこなしていた。
定時になり、そそくさと上司が帰ったのを確認し、Iさんは話しを再開した。
聞かれるままに返事をしていた私。
暫く話しをした後、最後に私はIさんにお願いをした。

『私なんかが言うのは、差し出がましいとは思います。
そして私が言う事ではないのかもと思います。言われなくても十分にご承知だとも思います。
Iさん・・・奥様の事、どうか支えてあげて下さいね!
Iさんも無論、仕事でもご家庭の事でもお疲れが溜まっている事とは思います。
でも、奥様はまだ小さなお子さんの面倒を見ながら病気である実のお父様を支えなければいけません。
勿論、お母様の支えにも・・・
泣き言を言えるのは、弱音を吐けるのは、旦那様であるIさんの前だけだと思うんです。
ですから・・・Iさんのご苦労も判ります。お疲れなのも判ります。でも・・・
奥様の支えになってあげて下さい。お願いします。』
そして私は以前、父の事で悩み・考え、精神的なバランスを崩し『心療内科』のお世話になった事や、眠剤を飲んでも全く眠れなかった日々の事も少しだけ話した。

その話しを聞きIさんは
『そんな!余計な事なんかじゃないよ。・・・ありがとう。
ここ数日間は皆が大変なのは判っているけど、俺も仕事で疲れてるし、子供の面倒も見なくちゃで・・・頭では判ってるんだけど、嫁に何か言われるとイラッ!としちゃって、危うく喧嘩になりそうになってたんだよね!
でも・・・そうだよね!俺の実の父親ではなくても、義父は養父だもんね!
何だかんだと俺は結局、第三者的な立場で見ちゃってるから本当の痛みは判らないんだよね・・・
俺が我慢しないで、嫁と喧嘩しててもしょうがない。
そうだ!俺が嫁を支えなきゃ・・・うん、言ってくれるように頑張って嫁を支えます!
・・・ほんと、ありがと^^これからも何かあったら相談に乗って下さい。』
と、仰った。




仕事帰りに実家へ寄った。
父が先週の血液検査の結果票を見ながら、不安げな顔で私に聞いてきた。
『あれか?どこか数値がおかしいのか?なんか最近おかしいような気がするんだよ!』

『どれどれ^^?』
と言いながら見た血液検査の結果は、それほど心配するような数値はない!
『何が?全然、心配するような数値はないよ^^今までと別段変わりないじゃんね♪』
と、父に言うと笑顔で父は言った!
『そっか^^別に気にする事はないか!』





・・・自宅に戻り、深夜、ベッドに入ってからは頭の中で色々な思いが交錯する。
つい2年前程の事を鮮明に思い出す。
父の病気が発覚してから今までの、色々な出来事。
考えても仕方がない事を考え、何度も泣いた事。
考えないようにしても考えてしまい、眠れぬ夜を何度も過ごした事。

そして今・・・
きっと同じ様な思いを抱え・・・いや・・・・・それ以上に辛い思いなのかも知れないIさんご家族の事。
実際に病気を患っている父や、またIさんのお義父様のお気持ち。


桜は見れない!と医師は言ったそうだが・・・
桜は必ず咲くんだ!
生きて・・・必ず生きて・・・・・
今年の桜も絶対に見て貰いたい。いや!見れる。



去年の春・・・
私は父との『お花見散歩』を夢にみながら、色々と試したものの叶える事は出来なかった!
父が生きていてくれる事を願望とし、『来年こそは一緒に♪』と、夢を託し今年に入った。

お陰で父は今もこうして生きていてくれている。
お花見散歩の夢も、きっと現実のものとなるだろう・・・

どうか・・・
Iさんご家族も、お義父様とのお花見が現実のものとなりますように!

願う事しか・・・祈る事しか私には出来ない。
何の役にも立てないけれど・・・心より願っています!祈っております


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2011. . 11

厳しい現実・・・・・遣り切れない。

1月11日(火)

父の事としょーもない私の事
先週の金曜日(1月7日)は、今年初である父の抗がん剤投与予定日であった!
お陰様で数値も安定しており、無事に抗がん剤を投与する事が出来た♪
いつもなら仕事帰りに実家へ行くのだが・・・
午後から悪寒に襲われ実家へ行くのを断念した私。
どうやらお正月休みにすっかりと気が緩んでしまったらしく、風邪をひいたようだ!

やっとの思いで自宅へ辿り着いてからというもの・・・・・この連休中は三日三晩寝込みっぱなし!
一歩も外出も出来ず、ベッドとトイレの往復以外は歩く事さえ侭ならず

大人になってからの本格的な風邪って・・・意外とキツイ
以前、肺炎になった時を彷彿とさせるほどの咳!これでもかというほどにゴミ箱は鼻をかんだティッシュの山!
何を食べても味などしないくせに、食欲は衰えず・・・でも、まぁ・・・それが救いだったかも
何とか連休明けの今日に出社する事が出来たのは、喜ぶべき事だろう(-_-;)
仕事を休まないで済んだのは、不幸中の幸いである^^;

こんな私が言っても説得力は0だと十分に判っていながら、敢えて一言モノ申します
このような拙いブログに遊びに来て下さる皆様・・・
風邪などひかれませんように、十分にご慈愛なさって下さいませねぇ(。・人・`。))





もう一つの膵臓癌
しょーもない私が何とか出社した今日。
前記事に書いたIさんから、その後のお義父様の様子を聞く事が出来たのだが・・・・・
結果は『膵臓癌』である事に代わりはなく、『肝転移』もあるという。
そして既に『腹水』も溜まっているらしく、思っている以上に容態は悪化していたらしい。
ご家族・ご親族が集まって話し合った結果、告知はされたとの事であるが、余命の事は告げない方向に話しが決まったようだ。

所詮、『余命宣告』なんてアテにはならない!
父を見ていて心からそう思う。でも・・・・・

私がブログを始めた当初・・・
『余命宣告』についてブログに書いた事がある。
私の家族は暗黙の了解で言わない方向であったが、ブログを見て下さってる方から、とても貴重なご意見を頂いた。
その方はご自分の経験をお話し下さり、『余命宣告をするのであれば、身体が動くうちでなければ!』と仰った。
自分は『余命宣告を聞きたかった』と仰い、実際に聞いたそうだ。
その方も仰っていたが、これはとても難しい問題である。

聞いてから、俄然、生きる気力が湧く(?)人や、思い残す事がないよう、遣り残した事が無いよう行動を起こす人。
若しくは生きる気力や望みを失い、途端に心身ともに容態が悪化してしまう人・・・・・

私がもしその立場だったら・・・
私は直接余命宣告をして欲しいと思う。
でも・・・聞きたくない!と思う方々だって沢山居らっしゃるのもまた事実!
聞きたいのか、聞きたくないのか・・・

健康な時から
『いざと言う時、余命宣告は聞きたい?』
と確認しているのならともかくとして・・・・・いざ病気が発覚してから
『余命宣告を聞きたい?』
などとは、とてもじゃないが聞く事はできない!それこそ余命宣告されたと言っているようなものだ!

私達家族は暗黙の了解ではなく、ちゃんと家族で話し合う時間を持ち結論を出した。
その結果が『言わない』ことであった。
でも、母からの話しを聞く限りでは、父は何となく知っているとの事である。


話しが少し逸れたが・・・
Iさんご家族は、お義母様の意見である『余命宣告などしたら、夫は堪えられないだろう』との一言で、余命宣告はしない方向で決まったとの事。

今後は在宅看護を希望しているが、何せ、つい先週の事でまだまだ何の準備も出来てはいないらしい。
今後の方針は決まったものの、実際は行動が追いついてこない現状・・・
にも関らず!
今、入院している病院からは『早く退院して下さい』と無情な言葉・・・

確かに・・・
現状何の治療も出来ず、また、在宅看護を選択するのなら、病院としてはいつまでも入院してて貰っても・・・と言うのは致し方ないのだろう。
私の父も言われた事だが・・・
緩和病棟がある病院以外では、『治療が出来る患者さんを受け入れる』事を優先し、そうじゃない患者さんは『転院して貰うか、治療以外の入院は受け入れられない方向』であると言われた。
判る!それは判るけど・・・
でも・・・・・患者サイドからしたら、それは余りにも酷というものだ!

以前、『がん難民』という言葉を耳にした。とっても嫌な言葉である。
言われる由縁は1つではないけれど・・・・・
『治療ができません!在宅を希望なら直ぐに退院して下さい!』
などと言われたら、幾ら今後の『在宅』が決まっているにしても、何の準備も整っていない状況ではそれこそ『がん難民』になってしまうではないかっ!

あまりにも厳しい現実に、Iさんご家族は精神的にも大分参っているご様子だ。
当たり前だ・・・・・
病気を患っている当のお義父様は勿論の事、お義父様を支えるご家族様・・・・・
大事なご家族が病気なだけでも、大変なご心痛だと思われるのに・・・
それに輪をかけるかのような、非情な病院の対応・・・・・何とも遣り切れない。

決して人事ではない!人事などとはとても思えない!
あまりにも身につまされる現実の数々・・・・・
厳しい・・・あまりにも厳しすぎる。


とにもかくにも・・・
Iさんご家族の余計なご心労が1日も早く緩和されますように!
1時間でも1日でも多く・・・皆さんが心穏やかなる時を笑顔で過ごせますように!
お義父様・ご家族様の幸せなる時間がいつまでも続きますように!


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2011. . 07

また・・・新たな膵臓癌

1月7日(金)
我が社の仕事始めは5日からであった!

営業職のIさん・・・・・私より歳は4コ下で、妻子有り^^
朝から出社する事は珍しいのだが、5日は『仕事始め』だからか?出社されていたが、朝から何だか浮かない顔色であった。
どうかしたのかな?とは思いつつも、午前中は皆、各々の仕事を淡々とこなしていた為に然程気にしないでいたのだが・・・・・

お昼時間、普段私と2人で社内に居る上司は外出する。
社長も朝、出社して来たとしても昼には出かけて行く。
社内には私とIさんの2人になったのだが、Iさんはお得意様と長電話をしていた。
私は昼食を摂りながら、狭い社内ゆえに聞く気もない電話の内容が耳に入って来ていた。


『ああ・・・なるほど・・・・・だからか。』

Iさんが朝から浮かない顔色をしていたのが理解できた。


Iさんの電話が終わり、聞いていいのか迷ったが黙っていられずに問いかけた私。

『ごめんなさい。聞く気もなしに耳に入って来たので・・・・・
奥さんのお父様・・・膵臓癌なんですか?・・・・・余命宣告されたって・・・?』


『原発部位はまだハッキリ判らないけど、胆管癌?膵臓癌?らしいんだよね・・・
去年から具合が悪くて、昨日無理矢理に病院へ連れて行ったんだけど・・・・・
黄疸も酷いし、見る影も無いくらいに痩せちゃって。
そのまま即・入院になって・・・
今日は身内が医師と面談してきたらしいんだけど、癌に間違いはないらしい・・・肝転移もみられるし、このままだと恐らくもって3ヵ月~半年だと言われたみたいで・・・
明日、改めて全身のMRIっていうの?どこまで転移しているのかを検査するらしくて・・・
本人には癌である事も、勿論、何も告げていない。・・・告知するかも迷ってるらしいけど、隠し通せる事じゃないよね。』

Iさんは肩を落としながらも話してくれた。
今の状態では黄疸が酷い為、これと言った治療は出来ない。
黄疸値が下がったとしても、今の状態では手術も抗がん剤も・・・体力が持たないとの見解であるらしい。
今後は緩和治療になるとの見解らしいが、ホスピスよりも自宅に戻り療養させたいとの事である。


大きなお世話かも?と懸念があったが、私は話した。

『自宅で、となると・・・往診にきてくれる医師を探さないといけないし・・・
在宅看護なら、色々と大変だし・・・市に申請して認められると色々な援助が受けられます。けど・・・
援助を受けるに当たって職員が問診に来たりします。
お父様本人に癌を隠す事は出来なくなりますよ・・・
あっ・・・因みにですが・・・
私の父もご存知の通り膵臓癌です。本人は勿論それは知ってます。
過去に告知をされた時、父は知りませんが余命宣告もされました。
父も黄疸が酷くて2ヶ月ほどは抗がん剤も、何の治療も出来ず・・・勿論手術も出来る状態ではなくて、抗がん剤を始めてからは入退院の繰り返しで一時は16.5kgも痩せました。
何度も諦めそうになりましたし、ホスピスも探し見学にも行きました。
・・・でも・・・人の命は判りません。父は3月で余命宣告から2年が経ちます。』


『そっか・・・そうだよね・・・・・
でもお義父さんは・・・多分・・・・・まっ、でもまだはっきりとは判らないから何とも言えないけどね^^』

とIさんは言い、外出していった。





昨日はまだ、検査の結果が判らない時間帯にIさんと会ったので、どうされたのかは聞く事ができなかった。

膵臓癌が判った時は、末期が多い。
手術が出来たとしても・・・5年生存率も極めて低い膵臓癌。

父の膵臓癌が判明した時の絶望感を沸々と思い出した。

今・・・お陰様で父は抗がん剤を続けている。ジェムが効を奏していてくれる。
手術が出来ないと言われた父も、ジェムが効を奏したお陰で手術も可能と言われたが、それは新たな懸念が生じるので手術はしないと決めている。

今でも実家から電話が来ると心配になる・・・
父の顔色が少しでも悪かったり、元気がないと不安になる・・・
数値は安定しているものの・・・父の体調が安定していても・・・心休まる時などない。

でも・・・
心休まる時などなくても、父と共に過ごせる有難さ。・・・何事にも代えられない喜びである。
父自身は抗がん剤の副作用に辛い思いをしているのは十分に承知している。
だけど・・・今のままのQOLを維持したまま、膵臓癌との長期に渡る共存を心から望んでいる。


Iさんのご家族・・・ご親族様。・・・そして勿論、当のお父様。
凄く辛いであろう事は、私も経験しているので善く判る・・・

どうか・・・
諦めないで・・・・・

ご家族に残された時間は、誰にも判らない!
前を向いて・・・


私の父がこうして今も過ごしていられる事が、もしも奇跡だとしたら・・・・・
Iさんのお義父様にも奇跡が起きますように!


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