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2013. . 13

母の心の拠り所2

5月13日(月) この間の続き

この間の記事の内容は、何となくブログ趣旨から外れているような懸念がある・・・(霊能力とか)
あまり眉唾のような事を書くのはどうなのか?でも私たち家族の事、中でも我が母にとっては人生の半分以上を占めてきた大事な事柄なので、掘り過ぎ下げない程度に書こうと思う。

え~~~と・・・
何十年も前の、私の中での衝撃的な出来事である「おばさん」との事。
これは私の中の「超・トラウマ」となり、大人になった今でも忘れられない事である!
あの時は本当に恐怖であり、暫くはおばさんに会う事が出来なくなる程であったのだが・・・

「おばさん → 亡き父イチローの叔母」は「イチローの母(私の祖母) → 母の妹(おばさん)」である。
しかし「イチローの母(私の祖母)と 母の妹(おばさん)」の間に血のつながりはない!
したがって、父や私とも全く血のつながりはなく、おばさんと言ってもあまり親近感がないのだが、私の母はこのおばさんとウマが合うらしく頻繁に会っていた。
おばさんも実の子供達よりも私の母の方を頼りにし、また、可愛がってくれたようだ!

前の記事にも書いたけど、決して変な宗教とかではない!
(これも何か問題ありそうな表現の仕方なのか懸念はあるけど)
しかしこの「霊能力的な事」が、おばさんと母の絆を強めている事は確かである。

私が幼い時から、亡き父イチローは決して「良い旦那」「良い父」ではなかった。
所謂アルチューで、酒を呑み、酒にのまれるそして暴れたりもする(-_-;)
それも休日関係なく、平日からほぼ毎日そんな状態であった為、仕事を休む事なんて日常茶飯事である。
子供は3人居るし旦那はよく働かず・・・母本人も安い時給でフルパートしているものの生活は厳しく、また、決して仲は悪くないけど姑である祖母とも同居!
母は母でとてつもないストレスを抱えながら生活をしていたのだろうと思う。

何かに縋りたい!何かに頼りたい!自分を助けてくれると思える何かに逃げ込みたい!
きっとそんな思いからであろう事は容易に想像できる。
確かに変な宗教ではないけど、母は昔から宗教に傾倒しすぎるのは事実。
家族にとっては、その事が問題になる場合も多々あったのもこれまた事実!
(・・・これ以上は問題があるかもなので、深く掘り下げては書かないけど。)


そんなこんなで・・・
母とおばさんはある意味「実の親子以上」に親密状態で、言い方は悪いかもしれないが、お互いに「依存状態」であるかのような、そんな状態でいた。
母が仕事を辞めてからは余程の事がない限り、2駅離れたおばさんの家へ電車と徒歩で毎日通っていた母。
実の娘さんが同居しているにも関らずおばさんの銀行通帳を預かり、お金の管理まで任されたりもしていた。
しかし、母の舌癌&大腸癌の手術を機に、長年に渡り続いたそんな関係に終止符をうつ。

手術をした事により母の生活は今までとは全く違うものになり、自分自身の事さえ満足に・思うように出来なくなってしまった。
おばさんに会いに行くどころか電話で会話する事さえも困難になり、何より1人で外出する事さえ出来ない母。
そうして退院後、数ヶ月を経て徐々に回復する母とは反対に悪化していく父。
兄に送り迎えしてもらえば多少の外出は出来るようになったとはいえ、父1人を家に残し外出する事は難しく、気付けば入院前から半年以上おばさんに会えない時は続いた。
娘さんを介して母宛に度々連絡してくるおばさん。
また、うまく喋れないながらも何とか電話に出ようとする母。

父が悪化の一途を辿る中、母はストレスを相当感じていたと言う。
私たち子供には言えない胸の内・・・痛み・辛さ・イライラetc
やり場のない怒りの感情や負の感情を、父は母に当り散らしていたらしい。
以前ならいざ知らず、今となっては自分も癌になり、また辛い手術・入院をし、退院後も不便を強いられる生活を送っているのに、私だって大変なのに!とのストレス。
さぞかし母の心を寄せる「おばさん」に会いに行きたかった事であろう。
母の中では「自分を助けてくれると信じる何か = おばさん」なのだから。


そして去年の4月5日。
丸々3年以上に渡る父の闘病生活は終わった。
それまで酷い時には
「お父さんなんか早く死んじゃえばいいのに!なんて思う事もあるよ
なんて、私に愚痴をこぼす事があった母。
父が亡くなり慌しい生活も落着いてきた頃・・・あんなに愚痴をこぼしていた母は、今までには無かった静かな日々・時間をとても虚しく、とても寂しく感じると肩を落とす。
あれだけ「う~」だの「あ~」だのと騒がしく、暴言を吐く父が居なくなってしまったという現実に。
母は最近とくに言う。
「お母さん昼間1人で寂しくてねぇ・・・お昼ご飯も1人じゃ食べたくなくてね
でも薬を飲まなきゃいけないから、嫌々だけどやっと食べてる感じだよ
やっぱり誰かが傍にいてくれるのは嬉しいねぇ~♪ご飯も美味しいよ♪」

ずっと仕事を辞めていた兄だが父亡き後、再就職をし、これからの生活の為働きに出ている。
私も姉も出来る限り母を1人にしないよう努めてはいるけど、私は私で仕事があり、姉は姉でまだ幼い子供がいるし旦那様の病気もあり、母だけに構っていられないのも事実である。
そうして1人でおばさんの家へ行く事も出来ず、また、行こうと言う気力もない母の元への連絡。
おばさんの不調を伝える娘さんからの電話だった。

兄と共にお見舞いには行ったけど、会話も侭ならず・・・
それでも、たとえ会話は出来なくても、会えなくても・・・おばさんが生きていてくれる事で、母の気持ちの平穏は保たれていたのだ。
母の元から父が逝き、そしておばさんが逝ってしまった。
「でも98歳だもんねぇ・・・頑張ったよね^^」
なんて、力なく話す母。
たまにこんな夢を見るらしい。
「お父さんが夢に出てきてね、”お前はまだこっちに来るなよ!”って、お母さんに言うんだよね。」



ホスピスに入所し、色々と心配事を話す・まだ昏睡状態に入る前の父に私は約束した。
自分が居なくなった後、残していく母や兄の事・・・特に兄の事を心配で仕方がないと言っていた父。
「兄ちゃんの事も母ちゃんの事も心配すんな!みぃーに任せとけっ!ちゃんと責任持って皆の最後まで面倒をみるからさっ他にまだ心配事はあるかぃ?」
父は言った。
「んじゃ、もぉーないよ!頼んだぞ!」

亡き父や・・・勿論おばさんの代わりになどなれる筈もないけど・・・
でも、兄も姉も私も居る。可愛い可愛い孫だって!
その人其々で、胸の内、支えられるところが違うのは百も承知!役割が違うのも百も承知!
これからは父の分も母を支えていく!
支えられるように努力するし頑張るよぉ~!だから

「ふっ、母ちゃん・・・寂しいなんて言わせないぜっ( ̄ー ̄;)」

術後の転移もないし・・・
人生楽ありゃ苦もあるさっ!(←水戸黄○)
母ちゃんはずっと「苦」ばかりだったって言うけど・・・
だったらこの先には楽しい事が沢山待ってるよ♪
色々とイベントも考えたりしてるからさっ!待っててねん^^


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2013. . 10

母の心の拠り所1 

5月10日(金)

2日続けてのブログ更新なんてどの位ぶりだろか?
書こうと思っていた事は沢山あるので、1度書き出すと立て続けに書きたくなるなぁ~~
と、ずっと更新していなかった事の言い訳を何気なくしてみたりする(-∀-。)


今年初旬、大叔母が亡くなった。98歳であった。
世間で言えば「大往生」などと言われるが、私はこの言葉が好きではない為に使う事は少ない。
お身内の言葉に相槌をうつ時のみ稀に使うだけ。
(話はそれたが)この方は亡き父、イチローの叔母にあたる方なのだが、父や母だけでなく私たち子供達も皆「おばさん」と呼んでいた。

去年の暮れから体調を崩されていたのは知っていたが、今年に入り家の中で転倒 → 入院となった。
医師からの話しによると
「ご高齢ですし、寝たきりになってしまう可能性もあります」
と言われていたらしい。
娘さんの話だと、歳も歳だし仕方がないねぇ・・・と話をされていたとの事。

がっ、流石に98歳まで病気知らずでいたおばさん!
入院後2週間も経たずにリハビリを始め、病院内の廊下を散歩していたらしく、私と母は
「流石おばさん!絶対に100歳まで生きるね!もっとか^^!」
などと話していたのだが、そんな矢先の事、実家の母の元に娘さんから電話が入った!
どうやらこの間まで奇跡的な回復を見せていた筈のおばさんが危篤状態になってしまったとの事。
「まだ意識があるうちに会わせたい人に会わせてあげて下さい」
と、医師から言われた為に連絡をくれたようだ。
後日、母と兄でお見舞いに行ったようだが、既におばさんとの意思の疎通は出来なかったらしい。
せん妄状態で誰が誰だか、何を言っているのかも判らなかったようだ。

私はこの「おばさん」が昔から少々苦手。好きとか嫌いの話しではない。
どちらかと言えば(言わなくても)心から感謝しているし、私個人としてみれば母の恩人(?)と言っても過言ではないと思っている。
我々家族が本当にお世話になった方である。


~ここからはある意味、公の場ではタブーとされるかもな話~

信じる人は信じるし、信じない人は全く信じない眉唾のような話・・・
(因みに先に断っておきますが、私は「無神論者」です!)
このおばさん・・・恐山などに居るイタコ(さん)と同じ力を持つ方!
「霊感がある」とか言うと意見は賛否両論あると承知しておりますし、無神論者を豪語している私ですが、霊能力的な事は信じておりまして・・・
「それって精神的な病じゃない?」
なんて言われそうですが、少なからず姉や私も霊感が強く、因みに私の母はもっと強い!
そんな母の「もっと強い人!」が、このおばさん。

遡る事、何十年も昔。忘れもしない私がまだ小学2年生の頃。
(昔のブログ記事にも書いた事があるけど)亡き祖母と私は交通事故にあった。
入院し、そして退院後、お見舞いに来てくれたおばさんの家へお礼に行った時の話なのだが・・・
家の中に招かれ、おばさんの部屋に通された母と私。
部屋には立派な仏壇が置いてあり(注:変な宗教とかはしてません)その前に座るよう促された私。
言われるがまま大人しく座っていると、私の後ろから母とおばさんの話し声らしきものが聞こえてきた。

ん?あれ?お・おばさん?おばさんの声だよね・・・?
と、我が耳を疑った!

さっきまで母とおばさんが話していた筈なのに、いつのまにか母の声は止み、気づけば「おばさん」の声ではなく「知らないオジサン」の声が私に何かを話しかけていた
その知らないオジサンの声で話すおばさん(←まぎらわしい)が私の頭を片手でガツッ!と鷲づかみにして恐い顔・唸るような恐い声でしきりに話しかけてくる∑(O_O;)
あまりの恐怖で何を言われているかも理解できず、どぉーしていいのかも判らない私。
今にも泣きそうに、ただただこの時が早く終わってくれれば!と震えていた私に母が怒鳴った!
「みぃー、判ったのか?判ったのなら返事をしろっ!」

知らないオジサンの声で話すおばさんは恐いし、知ってる母の顔も声も恐いしで何のこっちゃサッパリ判らないけど、摂りあえず超高速で頷きまくり「わ・わ・わかった・・・判りました」と返事をする怯えた私であった。



長くなったので次回に続きます(´-ω-`;)ゞ

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2011. . 12

母の舌癌。2

9月12日(月) *今日も今日とて長い日記

手術当日
予定通り、7月28日(木)に母の手術が行われた。
当初の予定では【 舌半切除術 】【 気管切開術 】【 頸部郭清術 】を施す為、12時間に及ぶ大手術!
の・筈だった。
当日の朝・・・9時から手術開始!
私たち家族は8時30分位迄に病院へ着くように言われていたが、実際には母の病室に8時前には着いていた^^;

25日の入院前から、舌が痛くて普通の食事が摂れない母の食事を作りに、毎日実家に行っていた私。
入院してからも会社を早退させて貰い、毎日母の顔を見に行った!
そして何度も何度も同じ説明・同じ話をした。
手術をする事に首を『うん。』と縦にふり、承知し納得した母ではあったが・・・

いよいよの手術当日。いざ!手術室へ!・・・と、病室から手術室まで徒歩で向かう母と私たち家族。
姉と私が母の両側につき共に歩きながらも、母の背中を抱き・擦りながら声を掛け続ける。
そんなこんなで、あっ!と言う間に手術室の前に着いてしまった。

姉や私は
『大丈夫!寝てる間に終わっちゃってるから^^ゆっくり寝てきてね♪』
『無事に手術は終わるからね!目が覚めたらICUで会えるよ^^待ってるよぉ~♪』
と、母の緊張や恐怖を取り除ければと、努めて明るく声を掛けたが・・・

父や兄は異性だからか?!気の利いた言葉が浮かばないのか解らないが
『お母さん頑張って!大丈夫だからっ!』←(何て言っていいか解らず、考えすぎで声が強張る兄)
『お前・・・頑張ってくるんだぞ!平気だからっ!大丈夫だから頑張れよ!』←(キンチョーで声が震える父、イチロー)
と、母以上に緊張している感が否めなかった^^;

それらの声を小刻みに震えながら聞いていた母。
『やっぱり手術しなきゃダメ?・・・やっぱ・・・ダメなんだよね
と小さくつぶやき、その後、深い溜息をついた。そして観念したように
『はぁ~~~・・・しょうがないね!頑張っていってくる^^;いってきま~す!』
と、何とも心細そうな表情で手を振りながら手術室へ入っていった。
その言葉を言った母の背中・・・とても小さくて弱々しい。見ていて涙がでそうになった。


母を手術室へ見送った後、自宅待機して貰う為に父と兄には帰って貰い、姉と私は病院内で手術が終わるのを待つ事に・・・しかし12時間て・・・『ながっ!』
『でも・・・何十時間掛かっても構わない!
無事に手術が終わりますように!成功しますように!』
・・・ただそれだけを祈り・願っていた。


心ココに在らず・・・そんな感じで他愛の無い話をしながら姉と待っていた午後の4時。
『Sさんのご家族様~!Sさんのご家族様はいらっしゃいますかぁ~?』
と、看護師さんの声が聞こえてきた!

『えっ?早くない?何で?もう終わったの?』
そう思いつつ看護師さんの元へ駆け寄った姉と私。
『医師からご家族様にお話しがあるそうなので、手術室まで行って頂けますか?』
との看護師さんのお言葉。

舌を切除した欠損部分は左腕からの再建術が行われる。
事前に説明を受けていた為、その事についての説明か何かかな?と話しながら姉と手術室まで向かい、手術室に足を踏み入れた。
入ったばかりの所には小部屋(?)が在り、テーブルと椅子が4脚並んでいる。
左側には受付のよなものが在り、そこで声を掛けると椅子に座って待っているように言われた。

5分位経ったのだろうか?
小部屋(?)の更に奥。実際に手術が行われる部屋の方角から担当医が姿を現した。
手には銀のトレーの様な物を持っている。
そして私の横の椅子に腰掛け、手に持った”モノ”を私たちに見せながら説明を始めた。

『お待たせしました^^今、無事に手術が終わりましたよ♪
・・・あっ、”コレ”が切除したお母さんの舌なんですけどね!
あと頸部郭清術として、リンパ節と周囲の組織を含めて摘出した箇所に転移と思われる”モノ”が1つだけありました。”コレ”がその切除した”モノ”です。
まぁ・・・でも無事に摘出できましたから安心して良いと思いますよ^^
摘出した”モノ”は検査にまわしますので、結果が判るのは2~3週間後位かな^^?』

その言葉を聞き、転移が疑われるモノが在った事にショックを受けながらも、医師の明るい口調で少し救われた思いがした。
取り敢えず手術は無事に終了♪後は摘出した”モノ”の検査結果を待つのみ!
でも・・・予定では12時間の手術。無事に手術が終わった♪って・・・幾らなんでも早くね?そう思い
『あのぉ~・・・無事に終わったって仰いましたが・・・
予定では12時間位掛かるって事前に仰ってましたよねぇ?
まだ7時間ちょっとしか経ってないですけど・・・・・
本当に全て、再建手術やら何やらも無事に終了したんでしょうか?』

すると医師は満面の笑みで
『はい!全てちゃ~んと終了しましたよ^^
実はですね、切除するだけなら早いんですよ!時間が掛かるのはその後なんです。
切除した欠損部を再建するにあたって、血管を縫合するんですけどね・・・その血管の状態が大事なんですよ。
お母さんは年齢も70歳を過ぎてますし、我々の見解では血管の状態も良くないものと思ってました。
血管の状態が”良い””悪い”で縫合時間は大きく変わってくるんですがね!
お母さんはその血管の状態が素晴らしく良かったんです^^
だからこんなに早く手術が終わったんですよ♪
ご心配なく!手術時間が短かったからと言って、手抜きしたとか、失敗したとか・・・何か問題があって短時間で終わったとか・・・そんな事は全く無いですからね!安心してください^^』


その後、自宅待機している父・兄に早速電話で吉報を告げる!
すると『今から直ぐに病院へ向かうから!』と言って電話を切った。
術後ICUに移っても、この日は麻酔から覚める事はないそうである為、母の意識が戻るのは翌日。
でも皆、母の無事な姿を・・・顔を見たい!

ICUに移された母は何とも痛々しく、父は
『あまりにも可哀想で・・・とてもじゃないが見てられない
と、母を直視できないでいたが
『その気持ちは判るけど、母ちゃんはすっごい頑張ったんだから^^;
麻酔が効いてて目は覚ましてないけど、声を掛けてあげてよ!きっと夢の中で声を聞いてると思うからさ^^』

そう言うと父は、私たち子供の前だからか少し照れてはいたけど、
『お前・・・よく頑張ったね。偉かったよ・・・』
と、母の指先に少しだけ触れながら小声で語りかけていた


転移の疑いはあったにせよ・・・
思った以上に短い手術時間で済んだ母♪
きっと体力的にも、少しは負担が軽く済んだであろう!・・・と思う。
暫くは不自由な生活を強いられる事が容易に想像できる。痛みや辛さも・・・

しかし!それはそれ!
今は無事に手術が終わった事を心から喜ぼう♪そう思った。
『母ちゃん、頑張ってくれて本当に有難う




・・・それから長い入院を経て、退院へ。


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2011. . 05

母の舌癌。1

9月5日(月) *今日の日記も長いです

舌癌の手術まで
遡る事6月29日(水)の事・・・
父も通う地元の大学病院内にある『歯科口腔外科』へ診察に行った母、ミツコ。
そこで患部の細胞を採り、2針縫って帰宅した。
翌週の水曜日に抜糸、細胞診の結果が出るのは2~3週間後の予定であった!

しかし!
抜糸の予定が入っていた7月6日(水)に病院を訪れた時には、既に【舌癌】である旨を言い渡されてしまった。
どうやら細胞診を行う前に『スクリーニング検査』をした際、確定は出来ないものの、舌癌である可能性が大きかったようだ。
そして、それを確定する為に(の)細胞診だったらしい。

『まさか舌癌?』な~んて懸念はあったものの、『まさか・・・そんな筈ない!あってなるものか!』と思っていた矢先に、その・まさかの『舌癌告知!』。
『そ・そんな!嘘だ・・・嘘だよっ!』と、現実逃避をする暇もなく、目の前の現実を受け入れた。

それからが実に早かった!

先ずは『どこで治療を受けるか!』を悩みに悩んだ。
姉も私も個々に調べていたのだが、母が
『手術をしなくても済む方法はないのか?』『手術なんてしたくない!』
と強く訴えていた為、都内にあり、切除をしなくても治療できる『小線源治療』を施せる病院にしようと決めていた!
・・・が!
口腔外科で舌癌を言い渡された後、同院内にある『頭頚部外科』に紹介状を書かれ、そちらを受診。
そこで示唆されたのは『ステージⅡの舌癌』。
今後の治療方針やら何やらを慌しく提示されつつ、次回の診察日まで返事を待って貰う・・・


ステージⅡなら舌を切除せずとも『小線源治療』でいけるのでは?と家族で話し合い、その旨を伝えるべく返事をしに診察へ向かったのだが・・・
結果、担当医と話し合う事数十分・・・親切・丁寧・ぐうの音も出ないほどの担当医による説明により、地元に在る此方の病院での手術を決める。

勿論、担当医は手術を無理には薦めない!小線源治療の利点も教えてくれる。
双方のリスクも教示してくれる。決めるのはあくまでも私たち家族!
母はと言うと・・・
『お母さんは難しい事は解らない。だから皆に任せる!
出来れば切りたくないけど・・・でも皆が切ったほうが良い!と言うなら仕方ない。』
と、承諾してくれた。

その後はトントン拍子に入院日&手術日が決まる。
その間、母は口腔外科にて歯の処置を行い、3本もの歯を抜かれてしまう^^;
そして念の為PET検査を受ける事にした。の・だが・・・

大学病院でありながらもPET検査を出来る設備が無い為、隣市にある病院まで電車&タクシーを乗り継ぎ1日がかりで検査へ・・・
検査結果は直接送られるとの事で、後日担当医から検査結果を受けた。
結果は耳を疑う


『大腸癌の疑いアリ』
であった!


検査結果を聞き、母には
『きっと大丈夫だよ!PET検査は良性のポリープにだって反応するんだから^^
だからそんなに心配する事はないよ!大腸検査をすればちゃんと解る事だしね♪』
と、言ってはみたものの・・・
家に帰り色々な想いが込み上げてきた私。
検査結果が出るまでは何も解らない状態ではあったものの、流石にこの時ばかりは声を荒げて叫んでしまった。『なんで?なんでなのよっ!』
何ともやるせない思いが込み上げてきて、1人静かに泣いた。
泣いても仕方がないのは十分に解っている。泣いても何の解決にもならない事も解っていたけど。
・・・そして『癌』の可能性を示唆されただけで、別に『大腸癌』まで宣告された訳じゃない!
そんな事も重々理解はしているけど、でも、涙が止まらなかった。




7月25日(月)に入院。
7月28日(木)に手術。
上記の予定は予め確定されていた為、入院前に大腸の内視鏡検査を受けた母。
『小さなポリープを2つ採りました。
もう1つ大きなポリープがありましたが、それは検査にまわしましたので結果は後日に・・・』
と言われ、母の前では『きっと大丈夫だよ♪』と言いつつも、検査の結果が出るまでは内心ヒヤヒヤ!
ほんっとうに!生きた心地がしなかった

予定通り7月25日に母は入院した。
そして手術の前々日、手術前の最後のICの時に大腸検査時に発見された『大きなポリープ』の検査結果も聞く事が出来た!
『とっても大きなポリープでしたが癌ではなかったようです!
但し、今すぐどうこう・・・と言う訳ではないですが、此方も早めに処置は行った方が良いと思います。
頭頚部外科での手術が終わり、今後の目処がたったら大腸ポリープの処置も考えましょう!』
との事であった。




何とか最悪の結果を聞かずに済んだ母と私たち家族!
舌癌の手術を受ける事に何も変わりはなく、心配事は尽きないままだったけど・・・
でも、ほんの少しだけ・・・何か肩の荷が下りた気がした。

・・・そして手術へ。



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2011. . 06

母、ミツコと舌癌

7月6日(水)

今日、母の「舌癌」が告知される。

・・・これは一体、何なのか?



現実逃避もしていられない。
これからはこれ以上に両親に我が身を注ぐ。



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2010. . 08

母よ・・・貴方もですか(-∀-。)

12月8日(水)
夜から降っていた雨も朝には止み、今はスッカリ青空を取り戻し、良い天気の東京都下地方♪
寒いっちゃ寒いけど、冬って本来もっと寒くなかったっけか^^?
最近は異常気象で夏に寒かったり、冬に暑かったりで善く解りませんなぁ~(◎ー◎;)



話しは先週の土曜日(12月4日)の事!
以前から母と約束していた『おっ買物♪』の日。
実家から離れたお店へ行くべく、兄が送迎をかって出てくれた^^

お店に着き、車に兄を残したまま母と2人店内へと入る♪
店内が広すぎる為、何処に何があるのやら解らないまま、母が欲しそうな物を物色しつつ店内をウロウロ!
『あっ、コレ良いじゃん♪』
と、母にコート(?)ブルゾン(?)を進めると、母はその場で着てきた上着を脱ぎ、試着を開始^^;

『これはちょっと小さい!』だの『これは大きい!』やら『ガラが気に入らない!』だのと、着ては脱ぎを繰り返す!
それは別に善いのだが・・・

母は左腕が少し不自由な為、自分で脱ぎ着するのが大変である!
その為、私が店員さんの如く脱ぎ着をサポートするのだが、まぁ~~~、これもまた忙しない事この上ない
母はただ袖をとおすのみで次から次へと『あれ着てみようか^^』とか『こっちはどうかしら^^?』と私に指差す^^;
その都度ハンガーから服を外し、試着したものをまたハンガーに戻す!
延々とそれの繰り返しなのだが・・・・・
とにかく私の事は『お構いなし!』で、まぁ~・・・次から次と急かす・急かすヽ(´Д`;≡;´Д`)ノ
以前から何度と無く母とは買物に出掛けてはいたものの、こんな事は滅多にない!



そして私は思った・・・・・

こ・これは・・・・・

まさしく 『女版・イチロー∑(O_O;)』



ふぅ~~~・・・
普段はノンビリと動作もスローモーな母だけど・・・いや!確かに動作はゆっくりだけど・・・
この、人の事はお構いなし!的な忙しなさ

いやぁ~・・・夫婦って、本当に似てくる(?)ものですねぇ~!
ってか・・・若しくは似た者夫婦とは、よく言ったものですねぇ~~~!
今更ながら、つくづく感じた出来事でした^^;



でも、まぁ、母ちゃんが楽しそう&嬉しそうだったからいいや♪(o^-^o)


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2010. . 01

祝!73歳♪

10月1日(金)
(毎月恒例になりつつある言葉だけど・・・)
今年も早いもので気が付けば今日から10月に突入!
ほんと月日が経つのは遅いようで早いものだ!(←どっちだ!)

昨日は月末で仕事が鬼のように忙しく、家へ帰宅しても疲れ果て何もする気が起きなかった(-_-;)
9月を振り返って色々と日記でもあるブログに書きたかったのに・・・・・
・・・しかぁ~し!
今日からは10月なので、先月の事はもぉ~いいや^^
自分の事ながら、ほんとてきとーな女だなぁ~と、つくづく思う今日この頃!・・・まっ、い~けど^^;


今日も朝から何気に忙しく、昼休みもそこそこに仕事に勤しむ♪
気が付けば兄からのメールが入っていた。
「今日はお母さんの誕生日だけど、また何か一緒にプレゼントする?」
との事であった。







はっ!・・・・・わ・忘れてたっΣ( ̄ロ ̄lll) 


今までは父や母の誕生日だけではなく、イベント事などの日にちは忘れる事などなかったのに・・・
それなのに・・・うっかり・すっかりと忘れてしまっていた!
心の底から・・・・・母ちゃん、ごめん(>人<;)

よしっ!今日は仕事帰りにプレゼントを買いに行くぞ!
母は父と違って何をプレゼントしても喜んでくれる♪プレゼントの選び甲斐もあるというものだ^^

・・・もしかしたら父はまた『お刺身』でもコッソリと買ってるのかも^^?
だとしたら私もだけど、母も本当に嬉しいだろうなぁ~♪
実家に行くのが楽しみだぜっ!頼むよ、父ちゃん^^



母よ!
いつも有難うございます♪
そして・・・
73歳のお誕生日、おめでとうございます
これからも父ちゃん共々・・・宜しくお願いしますねぇ~(o^-^o)


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