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2010. . 18

告知のエピソード

2月18日(木)
明日・実家へ泊まりに行く事にしたので、今日は顔を出さなかった。
父ちゃんは、ご飯食べれたのかなぁ・・?と心配しながらの更新。
電話で聞こうにも我が実家の就寝時間は以上に早い!
嘘のような本当の話、私が泊まりに行かない時は父も母も夜8時までには布団に入る。
母は のび○ なみに寝つきが早い。・・・父ちゃんは寝れてるのか?

たまに自分のブログを読み返してみたりする。
まぁ・読みづらいブログだこと・・・誤字・脱字が沢山あってお恥ずかしい(´Д`;)
そして大分・はしょって書いてきたので、書いたつもりであった事が抜けていた。
以前、告知された時のエピソードは書いたけど”余命宣告をしない”事を決めた時の日記を書いていなかった!

今更だけど追記しておこうと思う。

当時・入院していた隣県のK病院で”膵臓癌の告知”を受けた。
その時は(正式に告知された時)父と私の二人であった。
しかし翌日の担当医との話し合い時に、母・兄・姉・私は父の”余命宣告”を聞いていた。
『早くて3ヶ月か半年・・・抗がん剤が上手くいって1年』

自宅に帰り、4人で話し合った。

母の意見 → どちらでもない
1、自分の身体なのだから、自分で察知するだろう。
2、本人から聞かれたら教える。
3、此方からは敢えて教えない。

兄の意見 → 時期を覗って告知する
1、自分の身体の変化は自分が一番解るはず、隠し通せる訳がない。
2、万が一を迎える時に、思い残す事が無いようにしてあげたい。
3、もし自分だったら、そうして貰いたい。

姉の意見 → 告知しない 
1、余命宣告通りになるとは限らない。
2、父が受け止められる訳がないし、精神的に耐え切れない。
3、生きる希望を失くしてしまう為、治療さえも受ける気力が湧かなくなる。
4、もし本人に聞かれても隠す事が懸命だ。
5、もし自分だったら、余命宣告して欲しくないから。

私の意見 → 告知する
1、余命宣告通りになるかは判らないが、自分の命なのだから知る権利がある。
2、父が余命宣告に耐えられるかどうかは本人次第で、私達が勝手に決めつけるのはおかしい。
3、余命宣告するからには、父の精神面も含め・何があっても家族が全力で支える。
4、自分の余生の過ごし方は自分で決めて貰いたい。本人にはその権利がある。
5、私なら絶対に告知して貰いたい。

同じ家族でも考え方は各々違うが、兄と私の意見は殆ど一緒だった。
母は無理に言う必要もないし、だからと言って無理に隠す必要もない。
姉だけが全くの反対意見であった。
しかし・この話し合いに”正解”などは何処にもない。
結果、兄の意見を尊重して現在に至っている。

あの時、父本人に言っていたら最悪の現在になっていたのだろうか?
・・・しかし・そんな事は現在となっては誰にも判る筈がない。

乗り越えてきた現在だから、きっとこれで善かったのかも知れない。と思う。
今は有難い事に抗がん剤が効を奏している。
この先は・・・?それも判らない。
先の見えない暗い状況を考え・絶望するのではなく、父と過ごしていける現在を、明るく過ごして行きたいと思う。


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2010. . 27

父の後悔

すっかり気弱な言動ばかりをはく、この頃の父。
母と二人の時にはよく、自分の過去を悔いるような事を言っていたようだ。


母の事

母は私が物心付く前から働いていた。
亡くなった祖母とは”嫁・姑”の関係。
父は毎日お酒を飲み、”ヘルニアで腰痛”を理由にして仕事も休みがち。
子供は三人いてこれからお金もかかるのに・・・と色々なストレスを抱えていたのだと思う。
祖母とは、とても仲が良く喧嘩をしたのは見たことがないが、やはりそれなりに気苦労はあったと思われる。

兄は昔から物静かな人で、兄弟喧嘩に加わった事はない人だった。
しかし姉と私は女同士だからか、寄れば触れば喧嘩ばかり。
たまに仲良く遊んでいても、何時も途中から喧嘩になってしまい、その都度母に怒られた。
今で言えば”虐待”になるのだが、よく布団叩き(木製)やバット(木製)で殴られた。
当時を振り返ると「よく五体満足で今・生きていられたよなぁ~」などと思う。

父は酒癖が悪く、「物を壊す」「暴れる」は当たり前で、酷いときには「家の中に石油を撒き火をつける(必死で止めましたが)」「家の柱を鋸で切り出す」など等・・・やりたい放題だった。

私は子供の頃の楽しかった・嬉しかった想い出は?
と問われると間髪いれずに、こう答えていた。
「お父さんが、お酒を飲まずに帰って来た事」
私達家族は夜になると、日々怯えて過ごした。

しかし、そんな父だが母や私達に手をあげる事はしなかった。
母が姉や私に暴力を振るうと、姉や私にではなく母を叱った。

・・・今思えば「あんたが、ろくな亭主じゃなかったから、母ちゃんはストレスの捌け口に暴力振るったんだよっヽ(#`Д´)ノ」
と思う。
しかし母の暴力も姉が中学生になり、ある事をきっかけにやんだ。


伯父の事

父の兄(上から三番目)の夫婦はよく私の住む実家に遊びに来ていた。
その伯父夫婦はとても私の事を可愛がってくれた。
ある日の事(今から30数年前)違う部屋で私が一人で居たときに、別の部屋から伯父夫婦と父・母の会話が聞こえてきた。
「みぃー(私)を養女にくれないか?」と伯父夫婦。
暫くの沈黙・・・母は考えている様子であった。
しかしその沈黙をやぶり父が口をひらいた。
「どんなに生活が厳しく・貧しくても(←イチローのせい)みぃーはやらない!みぃーは俺の子だ!」
と、伯父夫婦の申し入れを、きっぱりと断ってくれた。

その10数年後、伯父はアル中で癌を患らった挙句、首をつり自殺した。
伯父の嫁(伯母)も今から数年前に息をひきとった。
【長文になった為、続きます】

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