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2013. . 21

ホスピス入所まで 4

6月21日(金) この間の続き。

父が勇逸諦めた心残り 2
病院の廊下ベンチで、父と二人並んで座りながら聞く話。
「今思うと行っておけば良かったな!」と「行きたかったな!」との言葉。
この頃は本当に頻繁に入退院を繰り返していたり、毎日のように救急外来で診て貰ったりしていた。

流石に孫のK美と「高尾山に登り、猿を見る」や「皆との温泉旅行」は体力的にキツイと思われた為、父には都度こう答えていた。
「最近は父ちゃんさぁ~、具合悪い時が多くなっちゃって体力が落ちてきちゃったでしょう・・・
だから高尾山や温泉はもう少し体力が回復してきたら行けば良いじゃん♪
でも”大月”なら具合の良さそうな日を見計らって行けば平気じゃない?
車で行けば、向こうで皆の顔見て話しして、んで往復したって4時間も掛からないじゃんね^^
だぁ~いじょうぶだよ!きっと行けるよ!一緒に行こうよ^^」
すると父は半信半疑ながらもちょっと嬉しそうに
「そうだよなぁ~!大月ぐらいなら行って来れそうだよな^^」
と、言っていた。

兄の車は「昔の軽自動車」で、正直、長時間の移動には向いていない!
普通の人であれば片道1時間位なら「苦」にならない距離だけど、今の父の痩せ細った体力のない身体には堪えるだろう。私たちには「たったの1時間」でも、父には「長時間の移動」である!
姉の旦那様であるKちゃんは当時「エルグランド」に乗っており、兄の車とは比べ物にならないぐらい乗り心地が良い!長時間の移動にも堪えられるのでは?
そう考え、姉にも相談をしていたのだが・・・

しかし、当時の父の「体調の良い日」を考慮する・・・これは難しかった。
なんせその日になってみないと判らない。
朝は具合良さそうに思えても昼過ぎには無理そう?そんな感じ。
そんな日々を繰り返しているうちに、父の体調は悪化する一方であった。
そして連日と言っていいほどに救急で診てもらう日々。

以前なら処方されている薬で様子を看た後に病院へ電話を入れ、相談した後に救急で診て貰っていたが、この頃はすぐさま「今から診てください!」と連絡を入れ病院へ向かっていた。
さらに診て貰ったところでその場凌ぎにしかならず、段々とその場凌ぎさえも出来ないようになっていき救急で診てもらう医師には「早いところ緩和病棟へ・・・」と薦められる事も多くなった。

そして・・・忘れもしない去年の3月3日の事。
この日も父は「何もして貰えない」事を承知で「病院へ連れて行ってくれ!」と言った。
以前からの父の願いであった「1日でも長く家に居たい!皆と居たい!」を考慮し、また「ホスピス」の話を頑なまでに拒否していた父。
既に、兄も姉も「もう今更、ホスピスの話はしなくていい!」と言ったが、私はそうは思えなかった。
まだ騙し騙し身体の自由が利いてるうちは「ホスピス」の話しなど聞きたくない!必要ない!と言い、まともに話を聞く耳も貸さなかったけど・・・でも、今は違う!
辛さのあまり病院へ行き、それでも楽になれず、でも何とかして欲しい!・・・そんな毎日を繰り返す父。

そして勇逸父が「行けるかも♪」と思っていた母の実家が在る「大月」
日に日に辛くなっていく自分の身体。この頃の父は
「こんなんじゃもう大月は行けないな!しょうがないよな・・・」
そんな言葉を自ら言うようになっていた。


このような時になって父に「ホスピス」の話をするのは酷じゃないのか?そんな風に自問自答する気持ちも少なからずあった。だけど・・・
今の父が少しでも楽になれる方法は?苦痛を緩和する為には?
そう考えると私の中で直ぐに答えは出た!
こんな時だからこそ、父にちゃんとホスピスの話を聞いてもらい、そして父本人に「どうしたいか?」答えを貰おうと。

病院へ電話を入れた後、父はそそくさと身支度を整え準備をしていた。
「どうせ病院へ行っても何にもならないだろうけどな・・・」
なんて言いながら着替える父にむかい
「父ちゃん・・・前に話したら怒られたけど・・・でも改めて話すよ!ちゃんと聞いて!」
そうして私はホスピスの事を話しだした。


次回に続きます。

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