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2010. . 05

最愛1

今朝の訃報を知り、色々と考える。
最愛の人を亡くされるとは、どれ程までにお辛い事だろう・・・と。
以前の日記に一度だけ綴った「祖母の事」を思い出した・・・
祖母が他界するまでは、祖母が私の全てだった。
祖母の事も綴っておこうと思う。


回想

私が2歳か3歳。まだ物心が付くか・付かないかの頃。
祖母はバイクに跳ねられ、入院した。
生死の境を彷徨い、半年後・無事に生還した。
既にその時には『直腸癌』が発見されていたらしいが、事故で亡くなるであろう見解で『癌』についての処置は何もされていなかったそうだ・・・

そして私がまだ17歳の時に、大好きな祖母は他界した。
私が生まれた時には既に同居していた祖母。
両親と生活を共にはしていたが、私は祖母に育てられたと言っても過言ではない。
お風呂も一緒に入れてくれて、寝る時も一緒であった。
私が実家を出る16歳まで、祖母と外出する時は何時も手を繋いで歩いた。

何処へ行くにも何時も一緒で、保育園の送り迎えも勿論祖母であった。
小さな私は大好きな祖母が迎えに来てくれる事を喜んではいたが、一度だけ悲しませてしまった。
周りの子はどんなに遅いお迎えでも、母親が来てくれる。
それが羨ましくなり、働く母に「今日だけはお迎えに来て!」と頼み母も「分かったよ」と言ってくれた。
その日は母が来てくれると喜び、先生や友達にも話していたが、閉園間近に現れたのは祖母であった。
仕事で迎えに来れない母に代わり、迎えに来てくれた祖母に泣きながら、母に対する怒りをぶつけてしまった。
何も悪くない祖母は私に謝った。
その時の祖母は、一体どんな気持ちであったのだろう・・・考えると申し訳なさに泣けてくる。

私が小学校2年生の時、翌日に遠足を控え”おやつ”を買いに行くと言った時も、祖母だけが「夜で危ないから」と言い一緒に来てくれた。
家から歩いて3分程のコンビ二へ行こうと、コンビニの目の前・道路を横断する際に祖母と私は車に撥ねられた。
祖母は車に引きずられ、私は数十メートル撥ね跳ばされた。
むくっと起き上がり出血している祖母を見た。
私は目の前のコンビ二へ走り、おやつを買うお金でティッシュを沢山買い祖母の元へ駆け寄った。
買ってきたティッシュで祖母の出血を押さえる。
運転手本人は何も出来ずに、ただつっ立っている。
周りで見ている大人達(野次馬)は、誰も手を貸してはくれなかった。
後で知った話だが、野次馬の中には近所に住む親戚が居たそうだ。
救急車が到着し、近所の為サイレンの音に気付いた母が駆けつけてきた。
救急隊員は、私が一緒に事故にあった事を気付かなかったようで、祖母と母だけを救急車に乗せ病院へ行ってしまった。
残された私は、救急車を見送った後に倒れた。
倒れながら「婆ちゃんが死んだらどうしよう・・・」と、ただ其れだけを考えていた。


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