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2010. . 23

ホスピス

父の入院前に、父には内緒でI病院での担当医師・A先生に面談をお願いした。
兄と二人で病院へ行き、今後の相談をした。
入院後の検査結果を待たずしても、”膵臓癌”である事と”手術不可能”である事は変わらないようだ。
色々と自分也に勉強した時に”緩和ケア病棟”(ホスピス)の存在を知った。
最初は”死を待ちに行く場所”と言う印象を持ったが、実際にホスピスでの勤務医が書かれた本を読んで考えが変わった。
そして、兄にもその本を読むようにと頼みその結果、兄もホスピスに関心を持ってくれた。

A先生にホスピスの事を相談した。
A先生は「確かに膵臓癌は進行が早く、何時・何が起きるか判らないので、ホスピスを視野に入れておくのは善い事だと思います。」と言い、I病院内に在る医療相談室・ソーシャルワーカーさんに面談の予約を入れてくれた。
後日、兄と二人で再びI病院内に在る医療相談室を訪れた。

その日、話を聞いてくれた方の話でも
「膵臓癌は本当に進行の早い癌です。此方が思っている以上の早い進行なので、早め・早めに先手を考えた方が賢明です」と身内である私達に遠慮もなく言い放った。
色々と相談に乗ってくれた結果、隣市に緩和ケア病棟の在るA病院とH病院を紹介してくれた。
兄と相談し、実家から近い方のA病院へ取り敢えず話を聞きにいこうと言う事になり、予約の電話を入れた。

当日、予約した時間前にA病院に到着したが、あまり待たされる事も無く話を聞く事が出来た。
「ご本人様は自分が”癌”であることを知っていますか?」
と聞かれ私達は今迄の経緯を話した。
「本人も”癌”である事は知っています。ですが、余命までは知りません・・・」


膵臓癌を告知された時に、父は余命までは知らされていなかったが、姉が怒り担当医との面談をした時に、私達家族は余命宣告をされていた。
はっきりとは言えないが、三ヶ月か・半年、抗がん剤治療が上手くいけば一年位・・・との事だった。


「では、いざ此方に入られる時には、ご本人様にもその旨お話下さい。そして、おそらく直ぐにはベッドの空きが無いと思われるので、一ヶ月弱は待機して頂くようになるかも知れません。」
と言われた。
その後、緩和ケア病棟を案内して貰った。

A病院は新しく、院内もとても綺麗であった。
勿論、緩和ケア病棟もとても綺麗で清潔感溢れるものなのだが、何か違和感があった。
昼間で外が明るい為か、病棟内の廊下は電気を点けてはいず、薄暗い感じさえした。
廊下を歩きながら、申し訳無いと思いながらも病室のドアが開いてるいると、見る気もなく中を覗き見てしまう。
そこに入院されている方々は自分の余命を知り、自分の意思で此処に入院している。

一通り病棟内を案内して貰った後に
「では、ご家族様の意思が固まりましたら、ご連絡下さい。」
との言葉を受けて、A病院を後にした。

帰りの車中で兄と話し合った。
私達は父には報告しない事にした。

その時がきたら父の望む選択肢を一つでも増やすべく、ホスピスを見学に来たのだ。
父が在宅看護を望むのなら、勿論それを尊重するし、とにかく痛みに絶え続け・納得のいかない状況下の中で生涯を終えていく・・・
なんて事だけは、したくなかった。
父が望む状況の中で、父が望める選択肢を少しでもひろげる為に、見学しただけだった。
確かに苦しい想い・痛い想いだけはさせたくないし、今でも勿論ホスピスの事は視野に入れているし、否定もしていない。
でも・・・出来る事なら、自宅でその時を、家族皆の見守る中で見送ってあげたい。と、強く思った。

だからと言って、諦めている訳では決して無い!
手術が出来なかろうが、何だろうが、”膵臓癌”なんかに負けてたまるかっっっ!
「まだまだ、この先何年も・何十年も生きて貰わなければ困るっ、困るんだぁ~!!!」
と、いい歳して自他共に認める”ファザコン”の私は、強く・強く胸に思った。

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