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2014. . 28

火葬

5月28日(水)

一旦は K美と実家に訪れた姉。
K美のランドセル姿を父に見せた後、この日は実家に泊まる為、取り敢えず K美を自宅に連れて帰る。
その後暫くして再度実家へと戻ってきた姉。

有難い事に夕方から夜にかけても、お線香をあげに来て下さる方が多く、父も沢山の方にお別れが出来た事を嬉しく、有難く思っていたのではないだろうか。
この日最後に来て下さった方が夜9時過ぎに帰られ、1日忙しかった母と兄には休んで貰う事に・・・・・
そしてホスピスに居た時以来(と、言ってもつい2日前)この日は姉と共に寝ずの番をした。

よく 「泣いてる暇もないほど忙しい」 などと耳にはしていたが、自分が経験してみて心底実感した私。
ホスピスを出て、実家に戻って来るまでは 「我ながら、よくもこんなに泣けるものだ」 と思っていたけど、実家に戻ってきてからは本当に泣く暇もないほどに慌ただしく、忙しい時間を過ごしていた。

深夜になり、姉と色々と話はしていたものの・・・・・正直2人共、既に疲労困憊状態。
実質9日間は満足に睡眠時間を確保できてはいなかった事もある。
会話をしていても、お互いにボケェ~としていた^^;
それでもまだ、気が張っているからこそ出来たのだろう。



明けて翌日。(一昨年の)4月7日。
少しだけ仮眠はとったものの、母と兄が起きてからはお互いに自宅へ戻り、身支度を整え喪服を持って再度実家へ。
姉は Kちゃんと K美と共に。
私は I ちゃんと共に実家へと戻った。

葬儀場(火葬場)の予約時間の2時間前位から葬儀社の方が来てくれる。
親族やご近所さんから、一緒に葬儀場へ・・・・・と仰って貰ってはいたが、最少人数にて執り行う事に決めていたので、此方からお声掛けさせて頂いた方のみ、出棺から来て頂いた。

葬儀社の方に言われる通りの手順を踏み、お棺の中に 「父の愛用品」 などを納める。
その他にも 「父が旅の途中で食べれるように」 と、食べ物も入れた。
そして頂いていた花束をばらし、父の周りを花で埋め尽くし・・・・・
最後に父の膵臓癌が発覚した当初、私たち家族で作った 「千羽鶴」 も一緒に納めた。

(余談ではあるが・・・・・
確か昔は 「三途の川を渡る為に必要なお金である 六文銭 を棺に納める」 必要があり、今の時代に 六文銭 がない事から、代わりにお金を一緒に入れていたはず?
でもこの時は 「紙に書かれた六文銭」 を一緒に納めたのだが、今はそう言うものなのだろうか?
・・・そう言えば、昔の旅支度は服装から何から決められてたもんな!一体、何時位からこうなったのだろう?などと疑問に思った。)


少人数の為マイクロバスなどは出さず、各々の車に乗り込み葬儀場へ。
時間の都合で実家へ来て貰う事が出来なかった人とは葬儀場にて合流した。
そして予約の時間まではロビーで過ごしその時を待っていたのだが、この時はまだ葬儀社の方との打ち合わせや、ご住職のお迎えなどで忙しく動いていた私。
あちらこちらに気を張り巡らしていた事もあり、悲しみに浸る事もなかった。



時間になり、いよいよ父が・・・と、なり、ご住職にお経をあげ始めて貰った途端、急に嗚咽とともに涙が溢れ出た。
息を引き取ったとはいえ、父は安らかな顔でただ眠っているだけに見える。
誰に、とか、何に?ではなく、叫びだしたい衝動にかられる。
「お願いだから、父ちゃんを燃やさないで!」
だけど、勿論そんな事は言えない。と言うか、言わないけれど・・・

肉体が目に見えなくなったとしても、自分が覚えている限り、故人の魂は生き続ける。
・・・そうは思っているけど、でも、今目に見えている父の姿が見れなくなると言う寂しさ。
これで最後となる父の姿に縋り付き、離れたくない。という衝動にかられる。

係りの方から
「では、最後のお別れです。ご親族様2名様のみ、ドアの前までご一緒にどうぞ。」
と声をかけられ、母と兄がドアの前まで歩み出た。
・・・本当なら母と一緒に私が行きたかった。
でも、私が行ってしまったらきっと、衝動が抑えられずに本当に父に縋り付き泣き叫んでしまっただろう。
一歩だけ踏み出していた足ながら、やっとの思いでその場に留まった。

K美は幼さから、まだ 「人の死」 と言うものを理解していないようで、嗚咽をあげて泣く私や、涙を流す周りの大人たちを不思議そうな顔で見ていた。
そして、あまりにも酷く泣く私の顔を覗き込み
「みぃー。ちゃん・・・・・泣いてるの・・・?」
と小声で、やはり涙を流していた姉に聞いていた。


父が息を引き取った時も、勿論、大泣きした私ではあるが・・・・・
ここまでの嗚咽をあげて泣いたのは、ここ数年間で、後にも先にもこの日、この時だけだった。

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comment

seabreeze
本当に大変でしたね。
私達もそうでしたが、とにかく準備がやたら多い!
そしてそれがすべて初めてのことばかりですから・・・・
葬儀社の方の言うとおりにしてましたね。

火葬するまでは親類の方と話をしたりして気が紛れたのですが、
、いざ火葬となると、姿形が無くなってしまうのですから。
話をすることができなくても、生きて姿があって欲しいと思いました。
そして呆気無くお骨になってしまい、その時点で悲しいのですが何だかもう何を言ってもどうにもならないと諦めにも似た気持ちになったものです。母はその頃、少々認知症だったのでその点は却ってよかったと思えました。
でも、新しく買った仏壇の前で、「お父さんは一日中この中に入って出てこないんだよ」とか言ってました。
そしてそれが悔しくて棒で仏壇を叩いたりしたんですよ。
何だかいろいろ思い出すとここ、3,4年、あまりにいろいろあり過ぎて夢の中にいるようです。七月にはその母の3回忌がありますが、今でも写真を見るだけで涙が出てきます。
離れていて会えなくても電話で「元気?」と言えたらいいなあと思います。
2014.05.28 21:51
seabreezeさま
こんにちは^^です。

やはりseabreezeさまも、そうでらっしゃったんですね。
本当に仰る通りですよねぇ~~~!
何から何まで初めての事だらけ・・・それだけでも疲れてしまいますよねe-330
あちらこちらに気を張り巡らせ、泣いてる暇と申しましょうか、泣く余裕もなかったように思います。

そしてこれもまた仰る通り!私もseabreezeさまと同じでございます!
遺骨となった父を見た時に、なんだか諦めがついた気がしました。
姿が見えるうちは、死を受け入れられないような、認めたくないと言うかそんな気持ちでしたが、遺骨となってしまっては認めざる得ないですものねe-263

・・・お母様のことですが、文面を拝見しただけで胸が締め付けられます。
何も分からぬ私のような者でさえそうなのですから、お母様をお近くで見てらしたseabreezeさまは、どれほどのご心痛でいらっしゃったのでしょう・・・・・
分かったような事を申し上げて申し訳ありません。
ですが、seabreezeさまのご心中お察し致します。

話は変わりますが、私も(は)父亡き後に本気で考えた事があります!
どうにかして父と話す手段はないものか!・・・と。
seabreezeさまが仰るように電話で話だけでも出来たら良いですよねぇ~~~!
ほんと、そう思いますe-259

いつもの事ながら、なんか支離滅裂な事を色々と書いてしまいすみませんですe-330
いつも温かなお心遣いを下さり本当に有難うございます!
心より感謝・感謝でございますe-267
2014.05.29 14:43

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