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2014. . 26

更新

5月26日(月)

父が乗る寝台車を先頭に、4台の車で走る事およそ30分。
22日ぶりに家族全員で帰宅してからのその後は本当に忙しかった。
この辺の事を詳細に書き出すと、私の無駄に長い文章では何日もかかってしまうので、敢て手短にはしょって書こうと思う^^;


お願いした葬儀社からは担当の方が2名来て下さっていた。
どちらの方も大変親切にして下さり、また、父に接する態度も ”父の尊厳” を十分に重視して下さった。
そして、そのお2人の中でも色々と役割があるように感じた。
父のお世話や、役所関係(書類など)で動いてくれる方。
私たち家族のお世話をしてくれる方。

何もかもが初めての事で・・・
何から手を付ければいいのか、何をすればいいのかも分からない兄と私。
そんな私たちに事細かく、丁寧に色々と説明をしてくれる。
お墓のあるお寺のご住職にも色々とお伺いを立てなければいけないのだが、説明を受けたものの言葉が足りず、しどろもどろしている時も、葬儀社の方がご住職に上手に立ち回って下さった。

特別に通夜や告別式をしない為、火葬をする時と納骨する時にのみ、ご住職にお経をあげて頂きたかったのだが・・・
でも、そんな思い通り簡単にはいかず、想像以上に手順を踏まなければいけなかった。
簡単に ”お経だけ” なんて考えていたものの、火葬する時、お経をあげて貰う際になくてはならない、 ”戒名” もお願いしなければならない。
そんな大事な事さえ、兄も私も頭から抜け落ちていた^^;

ぶっちゃけ・・・
ホスピスの費用だとか、葬儀社の費用などは色々と計算していた私。
勿論、お経をあげて頂くための費用も考えてはいた。
が!
”戒名” をつけて頂くこと、その事さえも忘れていたし、正直幾らかかるかなんて想像もつかず・・・・・
ご住職にお伺いをたててみたところで
「お気持ちで・・・」
としか答えて貰えず、相場が幾らくらいなのかも分からない。
そんな兄と私を助けて下さったのは、やはり葬儀社の方で・・・
有難い事に、本当に快く何から何までお世話して下さった。

そんなこんなで・・・・・
ご住職の予定やら、火葬場の予約も取れ、父の火葬が行われる日は4月7日(土)に決まった。
その後、母や兄・姉・私と手分けして親族に連絡を入れ、父の事を報告したのだが・・・

通夜も葬儀も特別にする訳ではない。
なので、電話で話したのは 「父が亡くなったという事実のみ」 で、通夜・葬儀の案内をした訳でもない。
それなのに・・・・・

私たち家族がやっと一息ついた頃から、近くに住んでいる親族やご近所さん・・・・・はたまた、私が顔を存じ上げない方まで、有難い事に皆さん続々と父の顔を見に来て下さり、お線香をあげて下さった。
そしてそれは夜の10時過ぎまで延々と続いた。
皆さんが帰られた後、気が付いてみれば・・・
葬儀社からと私たちで用意した花の他に、来て下さった皆さんが持って来て下さった花束で、父の周りは埋め尽くされていた。

兄の部屋で疲れていた母には休んで貰う事にして、この日は、兄・ I ちゃん・私で酒を酌み交わしつつ、お線香を燈さないようにあげ続けた。
そして
父がもうずっと前にやめたお酒も、ホスピスに入所する前までずっと吸いたがっていた煙草も、父の好きだった食べ物も、思い当たる物全てを父の横たわる布団の傍に並べ、朝まで思い出話に華をさかせた事は言うまでもない。


皆さんに来て頂き、綺麗な花に囲まれ、安らかな顔で眠りにつく父の顔を見つめながら・・・・・
こんな拙い私のブログへお越し下さり、有難くもご心配下さる方々へ向けてご報告だけさせて頂かなければ!そう思った。
そして、その時にやっとの思いで、短い文章だけど携帯からブログを更新した。
下記の文章は、その時のものです。



(タイトル)
笑顔ですo(^-^)o
 
4月5日 (木)

本日、午前5時55分
我が父、イチローは旅立ちました。

最期は穏やかに…
苦しまず…
家族皆に看取られながら静かに息を引き取りました。



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2014. . 23

父の覚悟とその言葉。

5月23日(金)

一般病棟に居た時も含め、実質22日間お世話になった H 病院 を、父と一緒に家路を辿る。
まだ(ホスピス病棟)大部屋に移動したばかりの頃、若先生やホタルちゃんに言われた事があった。
「ご本人が ”ご自宅に戻られたい” と仰るようならお知らせ下さい。」
との文言。
確かまだ、ホスピス病棟に移動してから2日目の事だったように記憶している。

一般病棟では満足な睡眠がとれずに居た父が、ホスピス病棟に移動してからちゃんと睡眠を確保できた。
その翌日は顔色も良く、まだ体力もあるように思えたので父に聞いてみた。
「父ちゃん、先生が言ってたけど・・・
もし自宅に帰りたいなら外泊も出来る!って言ってたけど・・・
どぉーする?1日か2日位、家に帰ってみるかぃ^^?」
すると父は
「1日・2日、家に帰ったってしょーがないから、お父さんは別にいいよ。
どぉーせ家に帰るなら退院する時でいい。」
そう言っていた。

入所する前は
「家から(病院へ)通えるかな?」 とか 「少し良くなれば何日かは家に戻れるかな?」
なんて言ってた父。
でも、実際に入所してから一般病棟で眠れない日々が続いた時だけは
「こんなんじゃ家に居る方が良い。帰りたい。」
とは言ったけど、いざ、ホスピス病棟に移動して睡眠を確保できるようになってからは帰りたいと言わなくなった。
(せん妄で ”母に会いたい” との理由で帰りたいとは言ったけど)

家路に着く車中で、ふと、そんな事を思い出し考えた。
自分の死を覚悟していた父・・・・・ 
”ホスピスを退院する時” ・・・ 退院と言う言い方はしていたけど、自宅へ帰れる時。それはこのようなかたちで帰る事を承知していたのかも?
後になって考えてみると、敢て言葉にはしなかった父の考えが色々と憶測をよび・・・・・
そして改めて父の言っていた言葉の数々を思い出した。


まず、兄も姉も既に
「ホスピスの話は、今更父ちゃんにしなくても良いんじゃない?」
と言われながらも、私は2人の意見を無視して父にホスピスの事を話し、入所する意思があるかどうか聞いてみた。
自分の兄や姉が癌の末期で苦しんでいる姿を、嫌と言うほど間直で看ていた父。
だからこそ!だと思うが、その時の父の言葉は
「お父さんはあんな風に苦しみたくない!」
そう言っていた事から、最期は苦しまず、安らかに逝きたい。と願っての言葉だと、私は受け取っていた。

そして以前、母だけには言っていた。・・・と、聞いた話もある。
夜間救急で病院へ行く度、もしくは入院を覚悟して診察を受ける時。
その時々などは家を出る時に必ず
「俺はもう、この家には帰って来る事が出来ないかも知れない。」
そう言っていたそうだ。
そしてホスピスでの初診の時も、家を出る時に言っていたと言う父。
無事に初診時は帰宅する事が出来たものの・・・・・
まさかの ”翌日から入所” が決まった時は、安堵感と不安感で複雑な心境であったのは知っていた。

翌日の入所が決まってから父の不安を少しでも取り除くため、色々と父と話した。その中で
「なに・・・?もしかして父ちゃん、お金の事を心配しているの?」
と聞いた私に、被せるように母も同じ事を父にを聞いた。
「お父ちゃん、お金の心配してるの?」
すると父は、私ではなく母の顔を見て答えた。
「もうずっと前からだけど・・・今更、俺が金の心配をしたってしょうがないだろ!
今度の病院(ホスピス)は凄く金が掛かるの位、俺だって知ってるんだ・・・・・
みぃー。が良いって言ってくれてるんだから、申し訳ないけど俺は金の心配はしてないよっ!」
と、ちょっと半ギレで母に言い、本当に言いたかった事は言葉を飲み込んだように思う。

その後、私は銀行に融資の相談に行ったり、会社に出社したりで父の 本当の不安 は聞いていない。
でも、やはり母には言ったそうだ。(これは後日談だが)
「今度こそ入院したら・・・・・俺はもう、この家に帰って来る事は出来ないな。
明日は ”もう帰って来れない覚悟” で入院してくるよ。」


何日先・・・何十日か先?かは分からない「父との別れ」を予感しながらではなく、
「今ある父の苦痛を少しでも取り除いてくれる」との期待をしながらホスピスへ向かったあの日。
期待を胸に、僅かまだ22日前にホスピスへと父と通った道を・・・・・
父と過ごした日々、父の大切な言葉を思い出しながら・・・
この日は ただただ泣きながら、同じ道を通り家に帰った。

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2014. . 22

家に帰ろう

5月22日(木)

帰り支度の終わった父。
丁度その頃、思ったよりも早く、私の携帯へ葬儀社の方から連絡が入った。
もう直ぐ病院へ着くとの言葉を受け、1階にあるホールまで出迎えに行ったのだが、既に受付で 「寝台車」 を何処にまわしておけば良いのかを確認されていた。
その担当の方と、取り敢えずお互いに挨拶を交わし、「では、後程宜しくお願いします。」という事で、病室に戻った。

既に時間の感覚がなく、この辺はうろ覚えではあるが・・・・・
時間は午前10時近くになっていたと思う。
本来であれば、夜勤の I 崎さんは交代で帰られる時間の筈であったが、父や私たち家族が病院を出る最後まで一緒に居てくれた。

家に戻るにあたっては、一旦、霊安室(?)まで移動しなければならない為、ベットに横たわる父と一緒に、皆エレベーターで1階まで下りた。
そこからは、父とは別ルートで霊安室まで移動するようだった。
その時には、既に出勤していたホタルちゃんが先導してくれていたのだが、私たちへの配慮なのか?
「大丈夫よ!お父様は私が一緒に行きますから、貴女( I 崎さん)はご家族様と一緒に行って差し上げてね^^」
と、 I 崎さんに指示されていた。

(・・・・・そう言えば。と思い出す。
私たちがホスピス病棟の廊下を通る時は早朝であり、他の方がラウンジに居なかったからだと思うのだが、あの、パーティションは配置される事がなかった。)



一階に下りて、霊安室へと向かう廊下を歩いている時には、一緒に居てくれたのはI 崎さんだけではなかった。
ふと、気が付けば・・・・・
ソーシャルワーカーのYさん
体格のいい頼れる看護師さん
女優の手塚〇美さんに似た看護師さん
が、私たちと一緒に霊安室へと移動されていた。

そして霊安室へ着き中に入ると、私たちが普段想像する 「なんとなく薄暗いイメージの霊安室」 は、そこにはなかった。
何と言うか・・・・・
部屋全体が明るくて、まるで霊安室のイメージがない。
とても広々としていて、当たり前かもだが、とても清潔感がある。
このような部屋から病院を出れるのならきっと、本来なら悲しいだけの旅立ちも、晴れ晴れとした雰囲気になるのではないだろうか?そんな風に感じる事ができた。
そう、例えて言うのなら・・・・・
まるで 「最期まで投げ出さず病気と闘い続け、命を全うする事が出来た故人を称えて見送ろう!」そんな感じとでもいうのだろうか。

そして霊安室の中には、既に
若先生 と お爺ちゃん先生 
父と一緒に来てくれた ホタルちゃん
あと、そこまで仲良くなれた訳ではないが、顔見知りでたまに雑談を一緒に交わしていた看護師さんが2人
父や私たち家族を抜かしても、ホスピス病棟の方々、総勢9名の方が父を見送りに来て下さっていた。

ふいに、私の横に居た 手塚〇美さん に似た看護師さんが、父を見て私に言った。
「お父様の事、前からカッコイイ!と思ってましたけど・・・・・
パジャマじゃなく、ちゃんとお着替えされたお父様は、更にカッコイイですね^^
う~~~ん・・・カッコイイ?じゃなく、とっても素敵です♪自慢のお父様ですね^^」
その言葉を聞き、またまた泣きそうになっていると、追い打ち(?)をかけるかのように
「ほんと!こう言っちゃ申し訳ないですけど・・・
お父様、お歳のわりにとってもお若く見えますし、本当にカッコイイですよねぇ~^^
お洋服もとっても似合ってるし、お洒落ですし、とっても素敵です♪」
との言葉を、体格の良い頼れる看護師さんまでも私に言ってくれた。

ただでさえ泣きそうだった私、目をウルウルさせていたら止めをさすかのように ホタルちゃん が口を開いた。
「お父様もそうですが・・・・・
本当に良く頑張られてましたね・・・・・いつもお父様に寄り添ってらして・・・・・
お父様とご一緒に本当に良く頑張られました。
もう、無理しなくて良いんですよ。涙を我慢しなくて良いんです!思い切り泣いて下さい!」
ホタルちゃんに掛けられた言葉で、 即・号泣! した私。
先ほどから何度となく泣いてはいたけど、 これでもか! と言うほどに涙が溢れ出る。
そして私にだけではなく、皆さんが皆さん、家族其々に労いの言葉などをかけてくれていた。

それから一通りの順序を踏み、いよいよ霊安室の扉が開けられ、寝台車へと父を乗せた。
自宅への帰り道を説明しなければならない事もあり、寝台車には父と一緒に、母と兄が乗った。
姉の車は姉が運転をし、Kちゃんの車にはKちゃんと葬儀社の方が1人乗り、兄の車には I ちゃんと私が乗り、寝台車を先頭に4台で自宅へと帰る事になった。

職員の皆さんは、最後の車が出るまで皆さん手を振り、頭を下げて見送って下さっていたが、その中に I 崎さんの姿だけが見えなかった。
「そっか、そうだよな・・・・・もうとっくに帰られる時間だもん。
今まで一緒に居てくれただけで、本当に感謝しなくちゃいけないんだ。
・・・でも、ちょっと、寂しいな。」
そんな風に思いつつ、病院の敷地を出ようとした時に気が付いた。

姿が見えないと思っていた I 崎さん。もう帰られたとばかり思っていた I 崎さん。
その I 崎さんは、病院の正面玄関から出て、深々と頭を下げながら、私たちの車が見えなくなるまでずっと見送ってくれていたのだった。
そしてその I 崎さんの姿を見て、また涙が溢れ出た。

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2014. . 21

旅立つ姿はお気に入りで♪

5月21日(水)

姉からのメールで病室へ戻ろうと、ナースステーションの前を通った時。
兄と I ちゃんは気にもかけない様子で通り過ぎたのだが、私の目に入ってきたのは I 崎さんの姿であった。
遠目でハッキリとは分からなかったが、此方に背を向け、何やら タライ(?) のような物に液体(?)を注いでいるようであったが、作業している時も肩を大きく振るわせ、手で涙を拭っているように見えた。
その姿を見るともなしに、何となく暫し見続けていたのだが、時折、鼻水を啜っているような音が聞こえていた。
「もしかして・・・・・ I 崎さん、父ちゃんの為に泣いてくれているの・・・・・?」
そんな風に感じた。

もし、父の為に泣いてくれているのだとしたら、父は大いに喜んでいるのではないか?そう思った。
色々な看護師さんにお世話になったが、幾ら担当とはいえ、父がちゃんと名前を覚えていたのは(ホスピス病棟では) I 崎さんただ一人だけ。
せん妄で不安を訴えていた時も、I 崎さんが
「私の事、誰だか分かりますかぁ~^^?」
と父に聞いた時、父は我に返ったように言った。
「誰って・・・ I 崎さんでしょ!」と。

そして単なるこじ付けかも知れないが、息を引き取る前日からの夜勤が I 崎さんであった事。
まるで、 I 崎さんにも一緒に看取って欲しかったのかも?そんな風にも思った。
これは余談だが・・・実際に I 崎さんにも、そう伝えた。
「きっと父は、最期は I 崎さんにお世話して貰いたかったんでしょうね^^
その1日前に息を引き取っていたら、I 崎さんにお会いできないまま家に帰る事になってましたもん^^
そう・・・まるで I 崎さんの夜勤を見計らっていたかのようです。
父は I 崎さんにも看取って貰えた事、本当に喜んでいると思います。本当に有難うございました!」
そう言うと I 崎さんは
「そんな此方こそ有難うございました。
Sさんやご家族様に携われた事、心より光栄に思います。」
泣きながらそう言ってくれた。


その後、病室に戻った後、諸々の エンジャルキット(?)を持って I 崎さんが訪れた。
そして先ほどの タライ のような物にタオルを浸しながら
「皆さんでお父様を綺麗に拭いて差し上げましょう^^」
そう言いながら、順々にタオルを手渡してくれた。
「手や足、お顔など、拭ける範囲で構いません^^
後でお着替えさせて頂く際に、拭けないところは私が拭かせて頂きますので・・・」
その言葉を聞き、各々、父に声をかけながら、愛でるように優しく身体を拭いていった。

その後、今度は
「男の方ではありますが・・・お父様にお化粧もして差し上げましょう^^
でも、あまり濃くしない方が良いですよね^^?
かるくファンデーションと、口紅・・・・・いや、口紅じゃなくてリップが良いですね^^」
そう言って私や姉に
「どの色のファンデーションにしましょうか^^?リップは無色が良いですかねぇ^^?」
などと言いながら、父に化粧を施してくれた。

顔色も悪く、やせ細ってしまっていた父。
だが、お化粧後は生前の父の顔のようになっていた。
痛みから解放され、安らかな寝顔をしている。
口元も、心なしか微笑んでいるように見える。
今にも何か話し出しそうにも見えた。


そしてこれは私が知らなかった(?)覚えてなかった(?)だけなのかも?
何日前かは知らないが、個室に移動してから母や兄が看護師さんに言われていたらしい。
「お父様がご自宅に戻られる時の洋服を持って来ておいて下さい。
そうですね・・・お父様が愛用されていた洋服とかが宜しいのではないでしょうか^^?」
との言葉を受け、母と兄は実家に帰宅した時、必死で父の気に入っていた洋服一式を探し出し、事前に病院へ持参していたそうだ。

化粧が終わった後
「では、お父様の帰り支度をさせて頂きたいと思いますので、お洋服を出して頂いて宜しいでしょうか^^?
お着替えが済みましたらお声をかけさせて頂くので、皆さん、少し外でお待ち頂けますか^^?」
I 崎さんにそう言われ、一旦、皆でラウンジに移動した。

そして暫し後、I 崎さんから声をかけられ病室に戻る。
そこには私が見た事もないような父の姿があった。
白のYシャツに青のネクタイを締め、格子の背広と、それにあったズボンを履いている。
ネクタイとYシャツには、ちゃんとネクタイピンとカフスもしていた。
私が見慣れている父の姿は、作業ズボンにポロシャツ。もしくはチェックのネルシャツ。
その上にブルゾンを着ている、いつもラフな姿の父。

「あれ?父ちゃんてこんな服、持ってたっけか^^?」
と、母や兄に聞いてみた。すると
「そうだよ、これはお父ちゃんが好きで昔から着ていたんだよ。
もう大分昔のだけど、他の服は直ぐに捨ててもこれだけは捨てないで、ずっと置いてあったんだよ!」
と母が言い、
「ネクタイピンもカフスも、お父さんが気に入ってて仕舞いこんであったんだよ。
何処にあるのか、探すのが大変だったよ!」
と兄。

ちゃんとした格好の姿の父を見て思う。
そう言えば、父ちゃんて自分で言ってたけど・・・・
「俺は身なりには気を使う。お洒落なんだ!」
そう言ってたっけ!と、父のその言葉を思い出した。
そしてその姿は、父にとても似合っていた^^

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2014. . 20

やるべき事がある

5月20日(火)

「ご臨終を確認致しました。」 と、(初見の)医師の言葉を聞いた事で
「ああ・・・・・父ちゃんは本当に逝ってしまったんだ・・・・・」 と、深い悲しみに襲われた。
そしてその言葉を告げた後、I 崎さんと医師は私たち家族を残し病室を出て行った。

世間で言われている 「聴力は最後の最期まで残る」 の言葉を信じ、臨終を告げられてからも皆で声をかけ続ける。
皆が皆、各々父に対する感謝の言葉や別れの言葉を口にし、(親族とはいえ)人目をはばかる事なく、涙を流し続けた。

もう何十年も泣いたのを見た事がない母。
滅多な事では決して涙を見せない兄。
また
姉やKちゃん、I ちゃんも普段では涙を見せる事はない。
そんな人たちが涙を流し続ける姿を見ると、余計に泣けてきてしまう。 
・・・だが私にはずっと泣き続けている暇はない。
ひとしきり父に言葉をかけ続け、涙を流した後、私は兄と I ちゃんに外に出るよう声をかけ病室を後にした。


携帯を持ち病院の外にある庭園のベンチに腰掛け、兄と I ちゃんにざっと説明して葬儀社に電話をかける。
以前、電話で確認をとっておいた葬儀社だ。
連絡は24時間いつでも構わないという事だったので、早朝にも関わらず連絡した。
病院の所在地を説明すると、1~2時間内には担当者が寝台車で迎えに来てくれるとの事で、病院に着いたら受付にて声をかけてくれるとの事。
また、病院近くになったら私の携帯へ連絡が入る事になっていた。

私が電話をかけている時、兄と I ちゃんはコーヒーを飲みながら気持ちを落ち着けているかのようで、互いに無言であった。
葬儀社へ連絡を入れた後、これまた早朝にも関わらず、私は会社の社長に連絡を入れた。
「お早うございます。朝早くにすみません。先ほど、5時55分に父が息を引き取りました。
ずっと有休を貰っていながら大変申し訳ありませんが、今日から忌引休暇を頂きたいと思います。
詳しい事は近いうちにまた連絡させて頂きます。」

泣かないように、冷静に社長へ話をするのが精一杯だったのだが、社長からの
「分かった・・・・・会社の事は気にしなくて大丈夫だから。
葬儀場と葬儀の日にちが決まったらちゃんと教えてよ。
・・・・・それよりも、大丈夫か?」
との言葉をかけられ、思わず電話口で泣いてしまった私。
「はい・・・大丈夫です・・・・・すみません、ご迷惑をお掛けします。」
声を振り絞り、それだけ言って電話をきった。


その後、私も気持ちを落ち着けようと、父が居る病室を見つめながら暫しその場に留まった。
それから十数分後、姉から私の携帯にメールが入る。
「これから皆で父ちゃんの(旅立ちの)支度をするから、早く戻っておいで。」
それを見てまた泣き出しそうになってしまったが、気持ちを入れ替え、兄と I ちゃんと病室へと戻った。

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2014. . 19

4月5日(木) 旅立つ父。

5月19日(月)

母や兄、Kちゃんや I ちゃんが来るのを今か今かと待ち侘びながら・・・・・
父の手を握り、声をかけ続けていた姉と私。
近くにはずっと I 崎さんが一緒に居てくれて、父の様子を看ていてくれた。

姉がふと
「ちょっと(簡易)ベットを片付けちゃおうか!」
そう言いながら、先ほどまで私が仮眠をとっていたベットを折り畳み、部屋の隅に片付けていた。
そんな姉を横目に見つつ、消音にしたままのテレビをふと見ると、時間は4時30分を過ぎていた。
父の呼吸はどんどんと弱り、今にでも止まってしまうのではないかと不安であった。

「みんな、何をやってるのよ!早く来てよ!」
心の中で叫び続けていた時、ホスピス病棟の入り口にあるシャッターを開ける音が聞こえた。
そしてすぐさま廊下を走る音が聞こえてきたのを確認し
「父ちゃん!母ちゃんと兄ちゃんが来たよ!」
そう声をかけるや否や、病室のドアが開き
「お義父さん!」
と言いながら駆け込んできたのは、Kちゃんと I ちゃんであった。

2人が声をかけた事で、父は呼吸を少し取り戻しつつあるように感じた。
「父ちゃんごめん、母ちゃんと兄ちゃんじゃなかったよ・・・・・
でも、Kちゃんと I ちゃんが来てくれたよ!
母ちゃんも兄ちゃんも、もう直ぐ来るからね!待っててね!」
4人で父の手を握り、各々に声をかけ続けている時、I 崎さんが病室を出ていった。

その後直ぐ、微かにあった父の呼吸が止まったような気がした。
テレビの時間は4時47分を示していたが、母と兄はまだ来ない。
その時廊下の方から I 崎さんの声が聞こえてきた。
「お母様、早く!歩いてないで急いで!」
その声と共に、母と兄、I 崎さんと当直(?)の医師が病室に入ってきた。

「父ちゃんっ!父ちゃん聴こえる?・・・・・母ちゃんと兄ちゃんが来たよ!」
父の耳元で肩を揺すりながら声をかけた。
母と兄は、父の手を握りながら何度も何度も声をかける。
「お父ちゃん!お父ちゃん!」
「お父さん、来たよ!お父さん、聞こえる?お父さん!」

そのまま暫く皆で声をかけ続けた。
私も今まで言えなかった事、言ってしまったら泣いてしまいそうで言えなかった沢山の事。
泣きじゃくりながらも、それら全てを言葉にして伝え続けた。

そして
気が付くと I 崎さんと一緒に居た初見の医師が告げた。
「午前5時55分・・・・・ご臨終を確認致しました。」と。


こうして
(一昨年の)4月5日(木)、午前5時55分。
膵臓癌を告知されてから3年間の闘病を経て、家族が見守る中、父は安らかに旅立っていきました。


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2014. . 17

ホスピス(個室)8日目。その時が近い。

5月17日(土)

I 崎さんにやり場のない怒りを言葉にしてぶつけてしまった事。
父の表情が穏やかになってから冷静になり、反省した。
私が起きてからも姉は仮眠をとる事もなく、そのまま2人で父を見守り続けていた。
その後、小1時間ほどは父も落ち着いていたのだが・・・・・

時間も3時を過ぎた頃、まだ先ほどから1時間も経っていないのに父が再び痛みを訴える。
急いで I 崎さんに来て貰い薬を追加して欲しいとお願いしたのだが、I 崎さんは少し考えているようであった。
「お願いします、早く薬を追加して下さい!」
そう声をかけるも躊躇う様子の I 崎さん。そして口を開いた。
「この薬は、まだ体力のある人なら大した影響はないのですが・・・・・
お父様の状態で使い続けるのはちょっと・・・・・」
と、確かこんな風な事を仰ったと思う。

それでも、どんどんと表情が歪んでいく父の様子をみて姉が言った。
「でも・・・とにかく早く痛みをとってあげたいので、早く薬を追加して下さい!」
そう言うと、暫しの沈黙の後に I 崎さんは意を決したように
「分かりました・・・」
そう言って薬を追加してくれた。

その後、父の様子は落ち着きを取り戻しつつあるように見えた。
が、I 崎さんは病室を出て行こうとはしなかった。
父の熱を測ったり脈をみたり、足の裏を注意深く診ているようで、傍に居る私たちも何かが違うのだと分かった。
もしかして・・・?
そう思い始めた頃。時間は既に4時近くになっていた。

I 崎さんがふと、自分の腕時計を見ながら私たちに言った。
「あの・・・今のうちにお母様やお兄様、ご親族様をお呼びされた方が良いと思います。」
その言葉を聞き、何も聞き返す事無く廊下に出て、直ぐに実家へ電話を入れた。
こんな時間の電話・・・・・何かがあったのだろうと電話に出たのは母だった。
「母ちゃん・・・今から直ぐ病院へ来て!」
その言葉で直ぐに状況が理解できたのであろう。
「分かった!」
そう言う母に
「早く来て!でも、事故ったら危ないからそんなに急ぎすぎないように気を付けてね!」
そう言って電話をきった。

病室へ戻り電話した旨を姉に伝え、お互いの(?)旦那にも来て貰おう!という事になり、姉も私も各々その場で電話をかける。
まだ早朝だったため、姉の旦那はまだ寝ていたが事情を説明すると
「分かった! I ちゃん(私の元、旦那)を連れて今から直ぐ行く!」
と言ってくれた。
私の(元)旦那は職業柄、朝がメチャクチャ早く、この日は既に自宅を出てしまった後だったが、運良く携帯が繋がった。
「ごめん!今直ぐ病院に来れる?Kちゃん(姉の旦那)が迎えに行ってくれるって!」
そう言うと
「今もう家を出ちゃってるけど、直ぐに引き返すから。・・・直ぐに行く!」
そう言ってくれた。

その後はもう、ただただ父に声をかけ続ける。
母や兄、Kちゃんや I ちゃんが来るまで、何とか父を繋ぎとめるのに必死だった。

「父ちゃん、今から母ちゃんも兄ちゃんも来るよ!
Kちゃんや I ちゃんも直ぐに来てくれるって!
だから・・・・・待ってて・・・まだ駄目だよ。・・・・・ごめんね、もう少しだけ頑張って!」

そう声を掛け続けながら、皆が来るのを今か今かと待ち侘び・・・心の中で 早く来て! と叫び続けていた。

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